ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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若者たちの9.30〜岡林と小笠原 それぞれの躍動

○6-1DeNA(25回戦:横浜スタジアム)

 23年前の今日、星野仙一が神宮球場の夜空に舞った。守護神・宣銅烈がペタジーニをセカンドフライに打ち取り、立浪和義が大事そうにボールをキャッチした瞬間、ドラゴンズは11年ぶりの優勝を果たしたのである。

 あれが物心ついて初めて経験する優勝だったという方もおられることだろう。かく言う私もその一人である。優勝するのに11年間もかかったのは、球団史を紐解いても'54年から'74年までの20年間に次ぐ歴代2位……。いや、歴代2位 “だった” と表現するのが適切だろう。

 前回優勝から今年で11年。残念ながらドラゴンズは優勝どころか最下位という結果に沈み、待望の立浪監督の力をもってしても低迷から抜け出すことはできなかった。まさかこんな未来が待っていようとは、11年前の胴上げの日には想像さえしていなかった。現実とは厳しいものである。

 11年というのは長い歳月だ。たとえば野球を始めたか始めないかというちびっ子が、球史に名を残すプレーヤーになれるだけの歳月……。さて、三重県で生まれ育った岡林勇希は、9歳当時に見たであろうドラゴンズの前回優勝を覚えているのだろうか?

 地元球団なので多少は周辺でも盛り上がったかもしれないが、まさか将来自分が同じユニフォームに袖を通すことになろうとは夢にも思わなかっただろう。まして高卒3年目にして最多安打のタイトルを獲ってしまうなんてーー。

 いや、まだ早計だった。しかし限りなく近づいたことは確かである。4打数4安打の固め打ち。ライバルの佐野恵太も2安打とさすがのバッティングを見せたが、ここにきての4安打はさすがに神がかっている。残り1試合、あと1本打てば同じ高卒3年目に160安打を記録した東映・張本勲に並ぶことになる。岡林ならやってくれるだろう。

苦労した分、引き出しも増えた

 やってくれると言えば、今日は小笠原慎之介にとって忘れられない日になったはずだ。確実視されていた2年連続規定イニング到達だけでなく、自身初となる二桁勝利を達成。名実ともに小笠原が一流投手の仲間入りを果たした。

 惜しむらくは開幕直後のコロナ離脱だ。1ヶ月に及んだ離脱が無ければ、タイトルの一つや二つは獲っていてもおかしくはなかった。逆に言うと、あそこからよくここまで持ち直したものだと。自軍の無援護に泣かされることも少なくなかったが、1点も与えられないという緊張感が小笠原という投手を成長させた面もあるのかもしれない。

 二段モーションをやめた後半戦は無双に近い投球を続け、わずか2ヶ月間で6勝を荒稼ぎ。それも5球団すべてに満遍なく勝っており、決してお得意様だけを相手にしていたわけではない。

 特に今夜は「何がなんでも10勝するのだ」という気迫が伝わってくるような投球を見せてくれた。シビれたのは6回裏。岡林とタイトルを争う佐野を迎え、敬遠気味の四球もあるかに思われたが、カウント3-1からストレートの真っ向勝負でみごとに打ち取ったのである。

 小笠原といえばチェンジアップのイメージが強く、昨季まではこの球に頼って痛打されるシーンもちらほら見かけた。ところが今年は140キロ台後半のストレートをズバズバと投げ込むスタイルが定着。今夜も前回の巨人戦ほどナックルカーブの調子が良くないと見るや、3回以降はストレート中心の配球に変更。これが功を奏した結果となった。

 入団7年目。苦労した分、引き出しも増えた。まだ25歳。来季の活躍が楽しみで仕方ない。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter