ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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惜しくなんかない

●2-3巨人(東京ドーム:3回戦)

 爽やかな日曜の朝は、中日スポーツの名物コラム『龍の背に乗って』を読んで自分の浅はかさを反省するところから始まった。

 投手が踏ん張ったロースコアの試合を、ポロポロ落としていては上位浮上は望めない。「うちの野球」ができた日こそ、しぶとく勝ちきらなくてはいけないのだ。「惜しい」は実は惜しくない。(4月2日付「中日スポーツ」)

 平手打ちを食らった気分だった。ニヤつきながら「涌井の投球を堪能できたから実質的な勝ち試合!」などと敗北の悔しさをごまかし、「紙一重の内容。悪い内容ではない。心配いらない」と虚しい楽観論で自分自身を慰めていた。

 そんな浅薄なポジティブ思考に対して渋谷真記者は容赦なく “現実” という名の平手打ちをぶちかまして来たのである。

 確かにグリフィンは打てなかった。初物であることを差し引いても、あれだけ変化球がコースに決まればどこの打線でも打ち崩すのは容易ではないだろう。しかしその後、田中豊樹、鍵谷陽平を打てなかったのは頂けない。初戦は大勢不在の弱みに付け込んで逆転できたが、この日も巨人サイドは不安を抱えながらの継投だったはずだ。

 2日連続の終盤逆転となれば、相手へのダメージも計り知れない。付け入る隙はあった。だがドラゴンズ打線にはそれだけの力が無かった。結果的に7回2失点の涌井秀章に黒星が付き、例年どおりドラゴンズは僅差の投手戦を落とした。

「投手が踏ん張ったロースコアの試合を、ポロポロ落としていては上位浮上は望めない」ーーその通りだ。これを「惜しい」「悪い内容ではない」と前向きに捉えている時点で、私自身も “Bクラス病” と呼ぶべき負け慣れ体質に染まってしまっているのだろう。

シーズンは無数の「たられば」の積み重ねで決まる

 開幕3戦目の先発マウンドに立ったのは福谷浩司。2年前の開幕投手も昨年はわずか5試合の登板に留まり、本人は「戦力外になると思っていた」とオフに打ち明けている。順番は3試合目だが、先発陣の序列的には6人目。不甲斐ない登板が続けば、すぐにでも松葉貴大や上田洸太朗に取って代わられる立場だ。

 この福谷が初回からテンポよくアウトの山を積み重ねていく。2日間でチームの全打点を稼いだ絶好調・中田翔を3球三振で抑えると、安打を許した4,5回も共にゲッツーで凌ぐなど多彩な変化球をコーナーに投げ分ける投球術で巨人打線に的を絞らせない。

 6回は遂に失点を喫してこの回限りでの降板となったが、昨日の涌井に続いてシーズン初登板としては十分すぎるほどの投球を見せてくれた。福谷がこれだけ投げられるのであれば、先発投手の陣容は贔屓目なしで「12球団最強レベル」だと言えるのではないか。

 それでも試合には負けた。打たれた勝野昌慶、清水達也を責めるのは簡単だ。だが、東京ドームでロースコアのせめぎ合いにもつれれば、一発のある巨人が有利であることは自明の理。そうなる前にセーフティリードを取り、楽な展開に持ち込むことはできなかったか。

 チャンスはあった。特に3回、無死二塁を逃したのは痛恨だった。あそこで追加点を取れていれば……。あるいは同点に追いついた8回、一気に逆転できていれば……。後悔しても仕方ないが、シーズンは無数の「たられば」の積み重ねで決まる。

「あのとき打っていれば勝てた」試合を何個も落とし、最下位に沈んだのが昨季のドラゴンズ。一方のヤクルトは「あのとき村神様が打たなきゃ負けてた」試合を何個も拾って連覇を果たした。

 まだ143分の3を消化したばかりだが、早くもドラゴンズは先発投手を2度見殺しにした。どちらも僅差の「惜しい」試合。しかし1ゲームとか2ゲームの差を競うシーズン終盤戦に入ったとき、こうしてポロポロ落とした負け試合が効いてくるのだ。

 誰を外して、誰を使うのか。打線のバリエーションが増えたのは好材料だが、結局競り負けるのでは意味がない。上位浮上への課題解決はまだまだ道半ばだ。