ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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昼下がりの情事

●0-2巨人(東京ドーム:2回戦)

 背番号20はドラゴンズのエースナンバーだと言われている。杉下茂から権藤博へと引き継がれ、一年だけ他の選手を経由したあと、今度は星野仙一が引退までの11シーズンにわたって背負い続けた。その次が小松辰雄で、1985年の投手三冠は20番を背負って成し遂げた。

 要するに一時代を築いたこの4人のエースの活躍によって背番号20の神格化は進んだわけだが、21世紀に入ってからはお世辞にもうまく継承できているとは言い難い。挙句は2018年以降は空き番状態となっていて、今や若いファンからしてみれば「エースナンバーだ」と言われても実感はないだろう。

 どうもドラゴンズという球団はこの種のブランド構築が苦手のようで、岩瀬仁紀の13番や山本昌の34番を新人選手に手渡してしまう安易さも含めて「もうちょい上手くやろうぜ」と呆れるやら情けないやら。“ミスター・スワローズ” の証であるヤクルトの背番号1がうらやましくて仕方ない。

私はまだ涌井という投手の本当の凄さを何も理解できていなかった

 そんなドラゴンズのエースナンバーが6シーズンぶりに帰ってきた。厳密にいえば1軍マウンドに背番号20が立つのは実に8年ぶり。その主の名は涌井秀章。通算154勝を誇る現役最高峰の大投手だ。

 柳裕也と髙橋宏斗が20番を引き継ぐ未来も楽しみではあったが、涌井が背負うのであれば納得するしかない。キャンプ初日、真新しいユニフォームに光る「20」の文字を目にした時は思わず「かっけぇ〜」と声が漏れたほど、涌井にはドラゴンズのエースナンバーが違和感なく馴染んでいた。

 キャンプ中は連日ブルペンに入り、ストレートのみ投げ続ける独特の調整法が話題になった。これまで所属した3球団全てで最多勝を獲得という輝かしい実績を引っ提げて臨む4球団目は、初めてのセ・リーグ。投手王国と呼ばれるドラゴンズで開幕2戦目の先発に抜擢されたことが期待の高さを物語る。

 その注目すべき公式戦の初球は147キロのストレート。力感のないフォームから放たれる球筋は、思わず見惚れてしまうほど美しい。ただ、見惚れているうちにヒットと四死球で満塁のピンチを迎える。結果的に中田翔のタイムリー1本のみ最少失点に留めたものの、球数は初回にして早くも28球。

 表情ひとつ変えずに淡々と投げてはいるものの、ひとまず新天地での試運転の意味合いも兼ねて5回程度で降板濃厚のペースだろう。やや不満を覚えつつ、そう皮算用していた私はまだ涌井秀章という投手の凄さを少しも理解できていなかったのである。

「若い彼らに何で勝てるか考えたら投球回数と勝ち星かな」

 2回以降の涌井は完璧だった。連打を許さない安定感や、得点圏での踏ん張りという点でもそうだが、それよりも先を見越した上でのペース配分が見事だった。3回は中軸との対戦とあって23球とやや球数が嵩んだが、その分下位打線に回る4回、5回はそれぞれ9球と調整。

 6回は中田翔にホームランこそ食らったものの、その後は動揺を引きずることもなく坂本勇人、大城卓三を合計5球で片付ける手際のよさ。並の投手なら制球を乱してズルズルと相手ペースに陥りそうな局面だが、この海千山千・涌井はソロ一発程度で陥落するほど柔(やわ)な投手ではないのだ。

 結局7回まで投げ切って103球。1イニング平均14.7球という初回の姿からは想像もできない結果に収束してみせたのであった。

 それで思い出したのが、次の言葉だった。

「若い彼ら(先発陣)に何で勝てるか考えたら投球回数と勝ち星かな。三振数は柳と大野にかなわないし、球の速さも髙橋にはかなわない。でも自分は1年間ローテを守る術を知っている。投げ抜けば成績はついてくると思う」(1月18日付「サンケイスポーツ」)

 今どき6回まで投げれば合格という時代に「投球回数」を強みに挙げる頼もしさ。星野仙一のような闘志は見せず、小松辰雄のような剛球で押すタイプでもない。表情ひとつ変えず、淡々と丁寧に、時に力を入れたり、入れなかったり。内外角の出し入れ、満塁のピンチでも気負いをみせない大人の余裕。

 あぁ、これが “術” というものなのかと。妖艶さすら漂う背番号20の投球術に酔いしれた、そんな土曜の昼下がりであった。