ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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青春のエピローグ〜福留孝介引退試合

●3-9巨人(23回戦:バンテリンドーム)

 強い選手だった。弱音を吐いているところなど見たことがない。外野手に転向した2002年以降は球界を代表する強打者として君臨。その後、落合監督の就任と共にスタートした “黄金時代” にはリーグMVPを受賞するなど華々しい活躍をみせた。メジャー挑戦、阪神移籍を経て'21年に14年ぶりの古巣復帰。しかし今季は不振に陥り、6月以降は灼熱のナゴヤ球場で若手と共に汗を流す日々が続いた。

 スターの宿命を背負い、走り続けた24年間。自らのエラーで試合に負けてもどこ吹く風という生意気な若造は、気が付けばプロ最年長選手になっていた。今夜、福留孝介が惜しまれつつも現役生活に別れを告げた。


 ラストステージのチケットはあっという間に完売した。福留という選手は、それだけドラゴンズファンにとって特別な存在なのだ。バンテリンドームに入場し、360度をぐるりと囲んだ観客を見渡してみた。目に映る中日ファン全員が福留の最後の勇姿を見届けるためにここにきたのだと思うと、自然と目頭が熱くなった。それぞれのファンが、それぞれの思い出を胸に秘め、高揚感と寂寥感を抱きながらドームのゲートをくぐったに違いない。

初めて見せた涙

 9回表、「ライト・福留」のアナウンスと共に、この日一番の拍手が沸き起こる。'02年のコンバート以来、聖域として君臨したナゴヤドームのライト。ここに立つ福留の姿が見られるのも今夜が最後だ。その裏、現役最終打席は1死ランナーなしという場面だった。2球目を打ち上げた打球は力ないセカンドフライ。スタンドに向けて頭を下げつつも、表情を変えないところはいかにも福留らしい。

 この男は最初からそうだった。ルーキーイヤーの初打席から、初々しさとか清々しさとは無縁の太々しい選手だった。あくまでも飄々と、「別に?」といった感じでプレーする福留の姿はたまらなく格好良く、尊かった。

 だからこそ、試合後のセレモニーで見せた大粒の涙、そして父親としての優しい表情を見たとき、福留がプロ野球選手では無くなるのだという事実がリアルな実感として浮かび上がり、もらい泣きを禁じ得なかった。

ありがとう、さよなら

 昨年、松坂大輔の引退を「20世紀プロ野球の幕切れ」になぞらえたコラムや記事を読んだ。松井秀喜、イチローに続いて松坂までもが第一線を退いた野球界は、たしかにその時点で新時代に突入したと言えるのかもしれない。

 ただ、ドラゴンズファンとしては、こうした風潮に「待った」をかけたかった。だってそうだろ、まだ福留孝介がいるじゃないか。オレたちの福留が、まだ元気に頑張っているじゃないかと。

 実に14年ぶりの古巣復帰となった昨年は、主に代打での出場ながら4本塁打をマーク。

「中年」と呼ばれる年齢になっても昔と変わらず躍動する福留の姿は、砂を噛むように生きる日本中のオジサン、オバサンに勇気を与えた。声援を送れない状況下でも、心の中で「かっ飛ばせ!コースケ!」と叫べば、あの頃に帰ることができた。

 だけどそろそろ、楽しかった青春にもピリオドを打つときが来たようだ。過ぎ去りし20世紀を知る最後のプレーヤーの引退。万雷の拍手と喝采に彩られながら、今ここにひとつの時代が幕を閉じた。

 ありがとう、さよなら。“4代目ミスタードラゴンズ” 福留孝介ーー。また会う日まで。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter