ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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40手前の働き盛り〜衰え知らずのレフト大島洋平

●2-6東京ヤクルト(24回戦:バンテリンドーム)

 世間で40歳手前と言ったらいわゆる働き盛りにあたるわけだが、プロ野球の世界でこの辺りの年齢は引退適齢期である。昔、和田一浩がドラゴンズでバリバリ活躍していた頃は風格が漂いまくり、誰しもが「和田さん」と “さん” 付けで呼んでいたものだが、冷静に振り返るとMVPを獲った2010年で38歳。サラリーマンの世界での38歳は、まだギリで「若手」の範疇に入る年齢だ。

 引退といえば長嶋茂雄がユニフォームを脱いだのも39歳のことだった。40代になっても第一線で活躍する選手は当時はめずらしく、“不惑” という言葉を世に広めた門田博光、村田兆治あたりから徐々に増え始めた感じだろうか。

 ちなみに星野仙一が39歳でドラゴンズの監督に就任した際には「青年監督」といって持て囃されたそうだ。しかし当時の写真をみればそのド迫力な佇まいは50代といわれても違和感はなく、昭和野球人の老成というか貫禄の凄さを感じずにはいられない。

 やや話がズレたが、球界では30歳も後半になれば「大ベテラン」と呼ばれ、イヤでも年齢との戦いを余儀なくされる。たとえ本人に自覚がなくても、またフィジカル面での衰えがなくても、周りがそう判断するとは限らない。編成担当者は近い将来に世代交代が来るものだという前提の下でドラフト戦略などを練るだろうし、若い選手が増えればファンからも見慣れたロートルではなく未知なる若手の起用を望む声が出てくるものだ。

 残酷だが、ほとんどのスター選手が現役の最後に通った道である。前述の長嶋でさえ、晩年は「見るのがツラい。頼むから辞めてくれ」というファンの懇願があったと言われる。

「そろそろ大島も衰える」から早幾年

 一方で、それに抗い続けるのがオトコの美学だという考え方もある。36歳で阪神に移籍した福留孝介は当初、成績不振から激しいバッシングを浴びながらも不屈の精神で復活。3年目の'15年からは5年連続で二桁本塁打を記録するなど、虎の中軸としてチームを牽引した。選手寿命の短かった昭和とは違い、現代は40手前からでも進化が可能であることを証明した格好だ。

 その点でいえば、大島洋平も年齢を超越しつつある選手だといえよう。「そろそろ大島も衰える」と言われ始めたのが3,4年前だろうか。そうした周囲の雑音を掻き消すように淡々とヒットを量産し、今季もまた当たり前のように3割をクリアしようとしている。気になるのは年を追うごとに低下している守備指標だが、段階的なレフトへの移行によりチームへのダメージを最小限に抑えることに成功。今季のバッティング好調は負担の少ないレフトでの出場も関係しているのかも知れない。

 負担減がパフォーマンス向上に繋がったのだとすれば、ここから更に数年間は今季並みの成績を残す可能性も十分あり得る。チーム、大島の両者にとって「大島洋平のレフト起用」はプラス要素しかなく、これを断行した立浪監督の実行力はもっと評価されてもいいはずだ。

 最初は岡林勇希をセンターで試すための措置だったが、既成事実さえできてしまえばどうにでもなるもので、この日はレフト大島、センター伊藤康祐という布陣を敷いてきた。二軍では怪我から復帰した鵜飼航丞がライトに就いており、残り9試合のなかでレフト大島、センター岡林、ライト鵜飼という布陣が実現する可能性もある。順調にいけば、これがそのまま2023年の開幕外野メンバーになってもおかしくないし、立浪監督もそのつもりなのではと考えられる。

 福留の引退により、来年は野手最年長で迎えるシーズンとなる。大島のことだ。来年の今頃も、「いつ衰えるのだ」と言われながら涼しい顔して3割を打っているに違いない。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter