ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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嘆きとため息の中で〜あっさり後続を切った森博人の好リリーフ

△3-3東京ヤクルト(23回戦:バンテリンドーム)

「え、勝負すんの?」

 正直驚いたのは12回表、この日5度目の村上宗隆との対戦だ。このイニングさえ凌げば負けは消えるという局面。6番手・藤嶋健人がテンポよくツーアウトを取り、打席には4番・村上。5番のオスナは既に退いており、ネクストには今季2本塁打の内山壮真、ベンチでは川端慎吾が待機していた。

 もし一発打たれれば致命傷に繋がるわけで、セオリーに従うならば敬遠一択だっただろう。しかしベンチは勝負を選択した。左の福敬登をあらかじめ用意し、万全の態勢でこの日最後の “神様退治” に臨んだのである。先発・小笠原慎之介がカーブで翻弄して最初の2打席こそ三振を奪ったものの、その後の3打席はいずれも四球。ここで歩かせれば4打席連続四球となり、「逃げた」との批判は免れない。

 これが仮に優勝戦線の真っ只中なら迷わず敬遠したはずだが、幸か不幸かドラゴンズは失うものがない立場だ。たとえ無謀でも逃げ回るくらいなら勝負して玉砕せんという、男のロマンに走るのも理解はできる。結果的にツーベースを打たれはしたが、56号を阻止したのはせめてもの意地か。

 8回の申告敬遠では三塁側スタンドからブーイングも飛んだようだが、この2日間で申告敬遠はこの一度きり。だいたい同点の1死二塁など、村上でなくても敬遠が妥当な場面だ。

「最下位なんだから勝負しろ」だと? ふざけんな。オールスターならともかく、まだ順位が確定していない状況で勝敗を蔑ろにしてまで個人の記録に協力しなければならない義理がどこにあるというのだ。それこそ野球という競技への冒涜ではないのか。まったく、一部野球ファンの思考回路は星稜・松井秀喜の5打席連続敬遠のときからまるで進歩していないのか。呆れるばかりだ。

 1964年、55号を記録した王貞治は本塁打の倍以上の119個の四球をもらい、そればかりか'62年から引退前年の'79年まで18年連続最多四球という隠れたアンタッチャブルレコードを打ち立てている。そうした中で成し遂げた13年連続本塁打王であり、通算868本という不滅の世界記録だからこそ偉大なのだ。

 強打者に四球が多いのは至極当たり前のこと。その中でどれだけ積み重ねられるか、それこそが本塁打記録の醍醐味だと、私は思うのである。

燕の猛攻を2点に留めた森の好リリーフ

 村上に神経を使いすぎたのか、福は制球を乱して満塁のピンチを背負った。なんなら中村悠平のところで交代かと思われたが、「代打・川端」を警戒して左の福を引っこめるに引っこめられなかったか。その末に、結局満塁という局面で川端を迎えてしまうのだから、やはり継投が後手に回った感は否めない。

「村上の出番も終わったし、ちうにちも多分負けるし……」といった具合に川端のタイムリーが出た瞬間に席を立った観客も多かったはずだ。ただでさえ4時間ゲームなのだから無理もない。

 ところがその裏、ドラゴンズは守護神マクガフを攻め立てて同点に追いついてしまう。2死一塁からドラマが待っていようとは、今季の貧打ぶりからすればにわかに信じがたい展開であった。

 ドラゴンズナインが闘志をギリギリで保てたのは、直前のヤクルトの攻撃を2点に留めたからであろう。誰もがため息をつき、帰宅の準備を始めたあの場面。なおも一、三塁と続くピンチをあっさりと片付けたのは背番号28、森博人だった。

 24登板のうち、実に21試合がビハインドでの登板というバリバリの敗戦処理ピッチャーだが、セットアッパー級の安定感で着実に評価を上げている。

 まぁ、今日に関しては「福だ、川端だ」と嘆いているうちに気付いたら3アウトになっていたというファンも少なくないだろう。そういうざわついた状況で冷静に仕事をこなせるのも、森の強さである。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter