ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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福留孝介引退に寄せて〜「ありがとう」と伝えたい

◯2-0広島(23回戦:バンテリンドーム)

 涙をこぼすわけでもなく、情に刺さるようなフレーズもなく。飾らず、気取らず。飄々と、淡々とした受け答え。これぞ福留孝介という引退会見だった。

 多くの人たちにとってそうであるように、福留は私にとっても非常に思い入れの強い選手の一人だ。1999年の鮮烈なルーキーイヤー、'02年の松井秀喜とのデッドヒートを制した首位打者獲得、'06年の優勝を決めた一打、'07年の旅立ち、そして'21年の14年ぶり古巣復帰……。

 その全てを “中日ファン” として共有できたのはとても幸せなことだし、福留は間違いなく21世紀のドラゴンズにおける最大のスターだった。

 会見で福留は印象に残っているシーンを問われると、間髪入れずに「特にありません」と答えた。いかにも福留らしいサバサバした回答に、思わずニヤリとさせられた。本人は無くても、ファンはたくさんのシーンを覚えている。その中でもパッと浮かぶシーンは何だろうか……と考えると、私の頭の中には意外な映像が再生された。

 2004年9月1日の阪神戦。コアなファンなら、たぶんこの日付だけで「あー…」と顔をしかめるはずだ。決して名場面ではないが、リアルタイムを生きたファンなら忘れられないあの瞬間、私はナゴヤドームのライトスタンドにいた。

「ありがとう」と伝えたい

「カツ!」という音が聞こえた気がした。阪神先発・下柳剛の投じた内角高めのシュートが、中途半端に打ちに行った福留の左人差し指に直撃したのだ。悶絶する福留。静まり返るスタンド。治療を待つまでもなく、森野将彦が代走に送られた。その様子から、軽傷では済まされないことはすぐに分かった。

 ただ、必死でネガティブな予感を掻き消そうとする自分もいた。9月の負傷離脱はそのまま “今季絶望” に直結し、それはイコール日本シリーズ欠場をも意味する。10代の私は、その辛すぎる事実を認めたくなかったのだ。

 試合は主砲の負傷に発奮したナインの活躍で快勝。悲願の優勝にまた一歩近づいたというのに、帰路に着く私の心は悶々としていた。勝って喜べない現地観戦は、この日が初めてだ。「どうか軽傷であってくれ」という願いもむなしく、翌朝突き付けられたのは最悪の現実だった。

 全治不明の骨折ーー。左手にタオルを巻いた状態で球場を後にした福留は「何もない」を繰り返し、落合監督は「骨折だ。日本シリーズ? 無理。(復帰は)来年の2月でいい。野球人生を終わらせてはいけない」と、シーズン復帰どころか日本シリーズへの強行出場を否定するコメントを出した。つくづくリアリストの落合らしい決断だと思う。

 無理をすれば日本シリーズには出場できたのかもしれないし、まだ若かった私はそれを強く望んでいた。この時ばかりは落合監督の判断を恨んだものだ。今にして思えばなんとも幼稚な考え方である。

 福留なきチームはその後も勢いを落とすことなく勝ち続け、骨折からちょうど1ヶ月後の10月1日、同じナゴヤドームで歓喜の瞬間を迎えた。胴上げを済ませ、記念撮影や球場一周など優勝を分かち合う選手たち。落合監督の意向で二軍を含めた支配下全選手が参加しており、目当ての選手を見つけるのに苦労したのを覚えている。

 やはり現地で観戦していた私は、どこかにいるはずの福留の姿を探していた。最後の1ヶ月(とアテナ五輪期間)こそ不在だったが、このチームが優勝できたのは間違いなく「4番福留」あってこそだ。どうしても感謝を伝えたかった。選手の列が近づいてきたとき、背番号1、その誰よりもシンプルな数字をようやく見つけることができた。私はありったけの力を腹に込め、「ありがと〜!」と叫んだが、その声はグラウンドまで届くはずもなく、同じようなファンの叫び声や応援歌の熱唱にかき消された。でも、それでよかった。福留孝介は手が届かないスーパースターなのだから。スタンドからその姿を見ることができるだけで、私は幸せだった。

 あれから18年もの歳月が経ち、とうとう福留にも選手生活に別れを告げる時がきた。今季は主に代打で出場するも、安打はわずか1本。さすがの福留も寄る年には勝てなかった。

 ただ、スタンドから見るその姿はまったく同じ。背番号は9に変わったが、凛々しく、自信に満ち溢れた佇まいはあの頃のまま。福留孝介は最後までスーパースターであり続けた。

 引退会見は仕事の移動中、車を駐車場に停めて生中継で見た。「好きな野球がやれて楽しかった」と語る清々しい口ぶりと、いつになく柔和な表情が印象的だった。同時に、本当に引退するんだな……という一抹の寂しさがこみあげてきた。今はただ、「ありがとう」と伝えたい。

福留孝介の第二章

 引退会見では二軍生活にも話題が及び、注目の若手選手を問われると、福留は即座に「全員」と答えた。ここで特定の選手を挙げれば関心を集めるだろうに、こういう “かわし” がいかにも福留らしい。

 その夜のゲーム。チームを4日ぶりの勝利に導いたのは若手の躍動だった。土田龍空がスクイズを決め、上田洸太朗がプロ初勝利をマーク。二人とも福留と共にナゴヤ球場で汗を流した選手だ。このチームの長い低迷はまだ出口が見えてこないが、ひとつ光明があるとすれば元気な若手が多いことだろう。

 すぐに実現するかは分からないが、いずれ福留は指導者として必ず帰ってくる。その時、チームを担うのはもちろん彼ら。今から福留孝介の第二章が楽しみになってきた。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter

【参考資料】

「中日スポーツ」2004.9.2