ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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ツキを生かせない弱さ〜福敬登、痛恨の2球目

●1-3広島(22回戦:バンテリンドーム)

 転がり込んだツキをみすみす手放すことほど悔しいものはない。今夜のゲーム、ツキはどう考えてもドラゴンズに向いていた。初回、岡林勇希の四球から暴投、タイムリーで鮮やかに先制し、さらに阿部寿樹も6球粘って四球。制球のままならない森翔平を攻め立て、この回いったい何点取れるのだろうかと胸躍らせたのは私だけではないはずだ。

 ところが歴史的な貧打にあえぐ打線は、ここで急ブレーキをかけてしまう。ビシエド、アリエル、木下拓哉が倒れて追加点ならず。このシチュエーションで4,5,6番に回り、攻略どころか相手を蘇生させてしまう打線は球界広しといえどもドラゴンズくらいのものだろう。

 元々は先頭四球と暴投というミスでもらったようなチャンスだったが、それですら複数得点に結びつけることができない脆弱さは悪化の一途を辿るばかりだ。思えば昨季から……、いやもっと前からこのチームは得点力不足に悩み続けてないか? と思い、「得点力不足」でググってみたところ、検索結果の上位にはサッカー日本代表の話題がズラリと並んでいた。よかった、ファンが悩んでいるほど世間はまだドラゴンズの貧打に気付いていないようだ。

 それもそのはず、日本代表の得点力不足といえば2002年日韓W杯のあたりから指摘され始めた、いわば年代モノの課題であり、たかが数年苦しんでいるだけの手前共とは年季が違うのである。余談だが最近、中田英寿を知らない若手社員に出会ったのはなかなか衝撃的だった。ドイツW杯でのブラジル戦後、ピッチの上で仰向けに倒れ込んだ中田の引退劇がもう16年も前の出来事である。特段サッカーに興味がなければ、“ヒデ” を全く通らずに成人になったとしても何ら不思議ではない。

 ああ、これがジェネレーションギャップかと妙な感傷に浸りながら、同じ2006年の10月10日のドラゴンズ優勝も遠い過去になったことを痛感したのだった。

「あれがフェアなら……」とはならず

 同点に追いつかれてもなお、ツキはドラゴンズにあったと感じる。6回表、1死二、三塁でマウンドに上がった福敬登は秋山翔吾を三振に取ると、続く西川龍馬には四球を与え、打席には坂倉将吾を迎えた。その初球、高めに浮いたスライダーを捉えた打球は、鋭い球脚でライト線を強襲。しかしファウルラインのわずか数センチ右で弾み、ギリギリで命拾いしたのである。

 九死に一生を得るではないが、こんな時は大抵得点は入らないものだ。ドラゴンズとしてはラッキーな、カープとしては「あれがフェアなら……」と悔やむ、明暗を分けた一球としてスポーツニュース等で編集されるパターンだ。しかしホッとしたのも束の間、2球目を今度はセンター前に持っていかれて2失点。ツキを生かしきれないのが歯がゆい。

 栗林良吏という守護神が控える以上、カープ戦での2点差以上での9回ビハインド突入はほぼゲームセットに等しい。ただそこに繋ぐまでのリリーフ陣に不安を抱えるのがカープの弱点でもあり、逆転負けはリーグワースト30回を数える。一方で逆転勝ちがリーグで一番少ないのがドラゴンズ。ホコとタテのような関係性の両者だが、いかに相手がおなべの蓋をタテにしていようと、こんぼうでは防がれてしまうのも致し方なしか。

 こんな時は強かった日のことを思い出し、傷を癒すのがいい。福留孝介……タイロン……。この名前を入力するだけで少し元気が湧いてくるから不思議だ。こうやって思い出だけで生きていけるのが、若者とおじさんの違いであろう。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter