ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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辿り着いた完成形〜これぞ小笠原というシビれる投球

○5-1東京ヤクルト(20回戦:明治神宮野球場)

 人間誰しもがいずれは老いる。老いれば思い通りに身体が動かなくなり、おのずとモデルチェンジを図らなければならない時がやってくる。野球は選手寿命が比較的長い競技ではあるが、20代の時と同じパフォーマンスを30代半ばに求めるのは酷だし、スピードボールを武器とする投手は一度でも肩肘を故障してしまうと、同じスタイルをその後も貫くのはほとんど不可能に近い。

 そうは言っても「スタイルを変える」というのはとても勇気が要ることだ。何しろ過去のやり方を否定するところから始めるのだから、プライドや成功体験が邪魔をして意固地になるのも無理はない。

“中年”と呼ばれる年齢の誰しもがその苦労と難しさを少なからず理解しているからこそ、松坂大輔やザック・グリンキーのように、かつての栄光のファームをかなぐり捨て、 “技巧派” として戦う男たちの不屈さに人々は心を揺さぶられるのだろう。

 だが、「スタイルを変える」こと以上に、「一度変えたスタイルをもう一度戻す」ことは想像を絶する苦労を要するに違いない。やむにやまれぬ事情があって変えたものを再び戻すというのは、単に立ち戻るだけではなく、根本的な再構築が必要となるからだ。Excelの「戻す」とは異なり、人間のメカニックはボタン一つで元に戻るものではない。

 まして一度失ったスピードボールを取り戻すことなど……。そんな奇跡に近い復活を見せてくれたのが、小笠原慎之介である。

力感ないフォームと140キロそこそこの真っ直ぐに抱いた寂寥感

 力感のないフォームから投じられる140キロそこそこの真っ直ぐは、小笠原のモデルチェンジを何よりも雄弁に……いや、弱々しく物語っていた。入団以来繰り返してきた肩肘の故障と手術。それを庇うような投球フォームはとても20代前半のそれとは思えず、言葉を選ばずに言えば “じじ臭さ” を感じさせるものだった。

 それでもそこそこ通用してしまうのは天性の野球センスの成せる技であろうが、150キロを超えるスピードボールとチェンジアップを武器に全国の頂点に上り詰めた、あの姿が目に焼き付いているだけに、モデルチェンジ後の投球スタイルにはどうしたって物足りなさを感じずにはいられなかった。というか、より正確に言うなら「寂しかった」。

 もちろん小笠原にしてみれば、プロの世界で生きていくために色々なアドバイスを参考にしながら、必死に模索して辿り着いたスタイルだったのだろう。それを軽薄なロマンチシズムでもって「寂しかった」などとヌカすのは誠に身勝手この上ないが、この道10年のベテランならともかくハタチそこそこの、しかもドラ1の姿としては、寂寥感を抱くのは致し方なかろう。

 あの輝かしい高校時代の投球はもう戻らないのだな……と落涙した夜も一度や二度ではない。このまま終わってしまうのかと覚悟したこともあった。それだけに今、こうして150キロ超の真っ直ぐを連発し、立派にローテを張る小笠原の姿を見ると、嬉し涙を流さずにはいられないのである。

 優勝へ突き進むヤクルトに対して、一歩も譲らぬ強気の投球は見事だった。この日最大の見せ場は4回裏、オスナのライナーをもろに食らって一旦はベンチに下がるも、そこから戻ってきてのサンタナに対するインロー空振り三振は、まさに快心の一球。この日から戦列復帰した木下拓哉のナイスリードにも引っ張られ、「これぞ小笠原」というシビれる投球を見せてくれた。

 毎年のようにフォーム改造に取り組んできたが、小笠原の投球の軸はあくまでも真っ直ぐ。その真っ直ぐの強化を求め、リスク覚悟で再モデルチェンジを図ったのは昨シーズンのことだ。球速はあきらかにアップし、今季後半戦に入ってからは慣れ親しんだ二段モーションにも別れを告げた。

 度重なる改造と再構築を経て、辿り着いた今のスタイルこそが小笠原慎之介の完成形といっても過言ではないだろう。戻ってきてくれてありがとう。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter