●0-5東京ヤクルト(19回戦:明治神宮野球場)
「行ったああああああ」
打った瞬間それと分かる打球が夜空に舞い上がった瞬間、私の心の内では悔しさよりも何か、晴れやかさの方が優っていた。不思議な感覚だった。敵軍の先制本塁打に対して、こうした気持ちを抱くのは初めてのことかもしれない。まして消化試合ではなく、順位未確定のガチ勝負だ。本来ならあり得ない感情だが、相手チームのファンすらも魅力してしまう……それだけ村上宗隆が特別な存在だという証でもあろう。
事前の取材では「勝つためには逃げる」と宣言していた大野雄大だが、最強打者に立ち向かうという投手本能には逆らうことができなかったか。推測だが、30日の巨人戦で菅野智之が抑えたこと(2打数無安打1四球)も関係しているのではなかろうか。
大野と菅野。2010年代のセ・リーグにおいて鎬(しのぎ)を削り、'20年には沢村賞を競った仲である。その菅野が真っ向から勝負を挑み、50号の大台到達を阻止した。その事実が大野の闘争心に火を付けたと考えれば、1死一、三塁のボール先行という局面で「逃げる」という選択肢を取らなかったのにも合点がいく。
もちろんチームの勝敗を考えれば無謀な挑戦と言わざるを得ないが、沢村賞投手として、男として、譲れない想いがあったのだとしたら、それを止める権利は誰にも無いはずだ。
手のつけられないモンスターと化した自分に対して恐れ知らずにも立ち向かってくる投手がいて、その意気に全力で応えてみせる村上はやはり異次元の打者だ。意地と意地のぶつかり合いなどとキレイごとを言っていられるようなチーム状況ではないが、長嶋茂雄に立ち向かった村山実しかり、王貞治に立ち向かった星野仙一しかり、プロ野球の英雄譚が「エースvs.4番」の白熱した構図によって紡がれてきたように、今夜の村上vs.大野もまた名勝負数え歌としてその1ページに刻まれることだろう。
「オレたちの大島が村上の三冠を阻止した」
日本人打者の50号到達は、'02年の松井秀喜以来の快挙だという。あの時の松井も村上と同じように三冠王を射程圏に捉え、打率部門で中日・福留孝介と熾烈な争いを展開。最後は福留に引き離されたものの、20年経っても鮮烈に覚えているほど激しいタイトル争いであった。
本塁打、打点の二冠は既に当確済みの村上にとって、やはり最大の難関となるのが打率部門だ。変動する数字を今後1ヶ月にわたり維持し続けるのは、さしもの村上とて容易なことではない。現時点で大島洋平(.322)、佐野恵太(.321)には1分以上の差を付けているが、固め打ちやちょっとしたスランプが重なればまだまだ逆転可能な差でもある。
これまでに最多安打のタイトルを2度獲得したことのある球界屈指の大島だが、意外にも首位打者の経験はなく、37歳シーズンでの戴冠となれば球界最年長の快挙となる。世間的には村上の三冠王を期待する声の方が圧倒的に大きいのだろうが、それは20年前も同じだった。あの時、ドラゴンズファンは世間に対する申し訳なさどころか、「オレたちの福留が国民的スターを倒したんだ」という誇りを胸に刻んだのである。
打撃3部門のタイトルはそう簡単に獲れるものではない。だからこそ狙えるときには全力で狙うべきだし、ファンとしても妙な遠慮はせずに後押しすべきだろう。
「オレたちの大島が村上の三冠を阻止した」と胸を張って言える日が、今から楽しみだ。