ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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巨人を最下位に突き落とせ!①〜天敵中田翔

●0-6巨人(18回戦:東京ドーム)

 お盆過ぎれば涼しくなる。たしかに先週あたりから、朝夕の空気の変化を肌で感ぜられるようになった。窓を開けたときに入ってくる風が、まとわりつくような熱風ではなく、ひんやりとした秋のそれなのだ。

 ビデオ考古学者のコンバットRECさんの言葉に「8月過ぎたら消化試合」というのがある。なるほど、言い得て妙だ。一年の移ろいの中で、9月にもなればいつの間にやら冬になり、気づけば年の瀬になっているものだ。秋というのは、一年の総括に突入する季節なのかも知れない。

 プロ野球も9月に入った途端、たちまち消化試合の色合いが濃くなる。もちろんそれは熾烈な優勝争いと表裏一体なのだが、残念ながらドラゴンズはこの10年間、基本的には “裏” をさまよい続けている(2020年という例外はあるにせよ)。

 ただ、今年のペナントレースは少し様相が異なる。ドラゴンズが最下位にいるのは例年と大差ないが、そのすぐ上で苦しんでいるのが、あの巨人軍なのだ。意地の悪いマスコミの中には、この3連戦を「最下位争い」と囃し立てている者もいる。

 まったく、Aクラスを本気で目指しているドラゴンズにとっては侮辱以外の何ものでも無いが、客観視すれば事実なのだから仕方ない。それ以上に、巨人がこの時期にこの位置にいるという希少性から、つい嫌味の一つでも言ってやりたくなる気持ちはよく理解できる。

“今” の高橋宏斗と、“今” の中田翔のぶつかり合い

 もし巨人が残り30試合弱で浮上を果たせず、最終的に最下位という事になれば、1975年以来47年ぶりとなる。しかも86年のプロ野球の歴史の中で、巨人が最下位に沈んだのはこの一度きり。Bクラスさえ滅多にない “盟主” のビリっけつ転落は、ある意味では仙台育英高校の「白河の関超え」と同等の “快挙” なのである。

 47年前の唯一の最下位が、長嶋茂雄監督の初年度であることはあまりにも有名だ。V9から2年経ち、「4番サード長嶋茂雄」のいないチームを率いた長嶋監督は大苦戦を強いられた。そのあまりの負けっぷりに同情したファン達が、「長嶋監督を励ます緊急大集会」「弱者救済」などとプラカードを掲げてデモ行進をおこなったりもした。

 その次に巨人が最下位の危機に瀕したのは1997年。やはり長嶋監督が率いたシーズンだが、この時に終盤まで最下位を争ったのが、何を隠そう星野ドラゴンズだ。8月終了時点で5位中日と6位巨人との差はわずか0.5。あと少しというところまで追い詰めただけに、終盤突き放されたのが惜しかった。

 あの時、巨人の4番を張っていたのはFA移籍一年目の清原和博。かつて自分を裏切ったチームへの入団は反感を買い、とにかく世間ではヒール扱いされていたのをよく覚えている。あまりのストレスに頬が痩せこけたなんて話もあったような……。

 清原の不振が巨人の足を引っ張っていたのは確かだが、実は最後の最後で4位に浮上したのもまた清原の力によるものであった。何しろ9,10月だけで9ホーマーをかっ飛ばし、最終的には32本塁打まで持ち直したのだ。それでも世間は「帳尻合わせだ」「何を今更」とやっかみ半分に猛批判を繰り返したのは言うまでもないが。

 さて、現在の巨人の4番を打つのは中田翔だ。経緯こそ違えど、バッシングの末に入団した事、パ・リーグ出身の強打の内野手である事と、なんとなしに清原との共通項も多い選手である。開幕時こそ不振で二軍に行くこともあったが、ここにきて4番を任されるまでに巻き返しているのは「さすが」という感じ。特にドラゴンズは毎度手痛くやられていて、前回がライデルからの決勝弾、今回はタイムリー2本。天敵と呼んでも差し支えない程度には苦手意識が芽生えつつある。

 つまり巨人を史上二度目の最下位に突き落とすには、この男を抑えなければならないわけだ。そこで楽しみになってくるのが、カード3戦目の先発が予想される高橋宏斗との対戦である。過去5打席無安打3三振と封じているが、見たいのは “今” の高橋と、“今” の中田翔のぶつかり合いだ。

 ……なに? 今夜の試合評を書けって? チームよりも個人へのフォーカスが強くなるのも、またこの時期ならではの特色である。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter