ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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戦術としての「逃げ」〜上田洸太朗に備わる“程よい割り切り”

○5-2東京ヤクルト(18回戦:バンテリンドーム)

 “飄々” という言葉が似合う投手がドラゴンズに現れたのは、とても喜ばしい事である。売り出し中の2年目サウスポー・上田洸太朗は、ピンチになろうが村上宗隆を迎えようが顔色ひとつ変えずに淡々とボールを投げる。これは本人の性格もさる事ながら、石井一久とか涌井秀章の系譜に連なる “タレ目” の特権なのではないかと思われる。

 表情だけではなく、程よい割り切りが備わっているのも上田の評価すべきところだ。初回2死二塁、先制のピンチでその村上を迎えた場面を思い出して欲しい。当代最強打者との対戦……男であれば誰しもが奮い立ち、チームの勝利を脇に置いてでも白黒付けたくなる場面だろう。ところが上田は目の前のリスクを躊躇わずに回避し、4つボール球を投じてあっさりと歩かせてしまうのである。

 野球の面白さは、「逃げる」ことが時に戦術として用いられる点にある。攻めてこそ勝負、みたいな熱苦しいマッチョイズムだけで構成されているスポーツならば、プロ野球の今日の隆盛は無かったに違いない。今からちょうど30年前の高校野球では、ある選手への敬遠策が大きな物議を醸し、遂には社会問題にまで発展。大の大人がルールに明記された戦術についてああでもない、こうでもないと真剣に議論を繰り広げるという、バカげた事態が巻き起こったのは有名な話だ。

「逃げない」ことに美徳を見出しがちな日本社会において、「逃げ」はある意味で「逃げない」ことよりも勇気を要する行為だといえる。しかしながら、然るべき場面で戦術としての「逃げ」を用いることは何ら恥ずべき行為ではなく、この上田洸太朗は19歳にしてそれを心得ているようなのだ。

 大野奨太の徹底した内角要求に対して、少しでも「勝負したい」という投手本能が顔を覗かせていれば、逆球になったり、真ん中寄りに入るなどして痛打を食らっていた可能性は高い。ところが上田は真っ向勝負などという自己満足には陥らず、不要なリスクを嫌った投球でしっかりと「逃げ」て見せた。もちろん顔色ひとつ変えずに。

 7回表に同点に追いつかれ、上田のプロ初白星の権利が消失した際、テレビ中継のカメラはしつこいくらいにベンチの上田の表情を追いかけていた。過剰に情動を煽るのはスポーツメディアの悪い癖だが、画面に映ったのは「泣くな! 上田!」とキャプションを付けるような表情は少しも浮かべることなく、ただ飄々と戦況を見つめる上田の姿だった。

どこか懐かしい野武士魂

 飄々とする上田に対して、これでもかと気迫を剥き出しするのが土田龍空である。5回裏、代打・平田良介のタイムリーで一塁ランナーだった土田はホーム生還を狙うも、ヘッドスライディングの執念及ばずタッチアウト。タイミング的には際どいとは言い難く、いかにタッチを掻いくぐろうとも生還は不可能だっただろう。

 それでも土田は、まるで体操選手のように両足からピョコンと起き上がると、いかにも無念そうに何かを吐き散らし、生還できなかったことを(あるいは三塁を回ったことを)悔しがったのだ。

 ここまで闘志を前面に出す選手もめずらしい。かつての強かった時代のドラゴンズはどちらかといえば闘志は胸の内に秘め、表面上ではプロフェッショナルに徹するタイプの選手が多く、それがかえって他球団ファンからは「不気味」だの「人間味がない」だのと疎まれたものだ。その点、土田にはどこか懐かしい野武士魂を感じずにいられない。

 気迫だけじゃなく、そのあと決勝打まで打ってしまうのだからお見事。すっかり竜の新スター誕生である。

 木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter