ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

抑止力60号〜チームと高橋を救った岡林のミラクル返球

○5-0DeNA(16回戦:バンテリンドーム)

 夏の甲子園は愛工大名電が2回戦に駒を進めた。15安打14得点の猛打もさる事ながら、中日ファンとしてはやはり岩瀬仁紀の息子・法樹の登板には心躍るものがあった。意図的に演出したわけではあるまいが、父親さながら9回にマウンドに上がり、試合を締める姿には感慨が込み上げてきた。

 一方、初戦を戦った八戸学院光星にはかつてドラフト2位でドラゴンズに入団した洗平竜也の息子・歩人が登場。制球を乱す場面もあったが、2イニング1失点の投球でチームの勝利に貢献した。

 次戦では、なんと両校の直接対決が実現。岩瀬vs.洗平の投げ合いなんて事になれば、古参ファンは涙なしには見られないだろう。俄然盛り上がる甲子園。こうなれば、ドラゴンズだって負けているわけにはいかない。この日躍動したのは、奇しくも甲子園には縁のなかった若手達だった。

チームと高橋を救った岡林のミラクル返球

 先発マウンドに上がったのは高橋宏斗。今や大野雄大、柳裕也を凌ぐ安定感を誇る次期エースだが、全国屈指の好投手と騒がれた3年時は春、夏共にコロナ禍で大会自体が中止に。代替措置として実施された交流試合の智辯学園戦が、高校時代唯一の甲子園体験となった。

 あれから2年……わずか2年である。最速154キロ右腕と騒がれた逸材は、想像を超越するスピードで進化の一途を辿る。この日もDeNA打線を牛耳り、6回1/3を無失点の好投で4勝目を手にした。規定未到達ながら奪三振率10.88はリーグ断トツの数字で、これは千賀滉大や大谷翔平、野茂英雄といった歴代の三振モンスター達と肩を並べる数字となっている。

 その高橋のピンチを二度にわたって救ったのが岡林勇希である。高校時代に甲子園出場は無く、3年夏の県内ベスト4が最高。この時はまだ投手としての評価が高く、もし全国で活躍する機会があれば、今ごろ全く異なるキャリアを歩んでいた可能性がある。

 4回表、楠本泰史の打球が痛烈に一、二塁間を破ると、二塁走者の牧秀悟は迷わず本塁に突入。しかし岡林の強肩から放たれた矢のような返球は、ちょうど本塁手前の走路にワンバウンドで届く理想的な軌道を描き、先制失点を阻止したのだった。

 さらに7回表、今度は1死満塁でフェンス寄りのファウルフライをダッシュしながら捕球すると、その反動を利用して投じた返球はなんとノーバウンドで木下拓哉のミットに届き、三塁走者のタッチアップをドンピシャのタイミングで阻止したのである。少しでも逸れていれば、あるいは返球が弱ければ同点となり、高橋の勝ち星も消えていた場面だ。まさにチームだけではなく高橋個人も救ったミラクルプレーとなった。

 肩の強さはもちろん、コースの正確さ、そして状況に応じて送球の高低を調整する判断力……。あれを見てしまうと、岡林は外野で育てるのが賢明だと感じてしまう。確かに阿部寿樹を三塁で起用した時にどうしても二塁が弱くなるため、器用な岡林を内野に回すのはチーム編成の観点から見ても合理的ではある。それこそ外野手は余るほどいるわけで。

 ただ、チームのストロングポイントになり得る岡林の “抑止力” を蔑ろにしてまで二塁を埋めるのが、果たして最適解と言えるのかどうか。要は二塁手がきちんと固定できれば全ての問題が解決するのだが…….。そこでこの日、最後のヒーローのお出ましというわけだ。

 8回裏、試合を決定づける3ランをレフトスタンドにぶち込んだ石垣雅海は甲子園未出場。酒田南時代は1年時から自慢のパワーを存分に発揮し、「素材は山田哲人級」の寸評が紙面に躍ることもあった。入団当初から将来を嘱望された大砲候補も、早入団6年目。そろそろ結果を残さないと立場が怪しくなるというタイミングで飛び出した、待望の本拠地1号である。

 高橋宏斗、岡林勇希、石垣雅海。若手の躍動による勝利は、低迷するチームに活力をもたらしてくれるはずだ。甲子園もドラゴンズも、若さ溢れる躍動に名古屋が盛り上がった一日となった。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter