ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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「投手・根尾」は「野手・根尾」を超えたのか

●4-6DeNA(13回戦:バンテリンドーム)

「さすが甲子園の優勝投手ですよ」

 辛口で知られる解説者・権藤博氏も思わず唸ったのは、根尾昂の投球である。7回2死、打者ソトのところで福敬登からスイッチし、背番号7がこの日一番の拍手に迎えられて登場。5球でソトを空振り三振に打ち取る好投をみせた。

 5点ビハインドという状況からファンサービス込みの起用かとも思われたが、根尾は8回表のマウンドにも立った。投手転向後初となるイニング跨ぎは、根尾が着実にステップアップしていることを感じさせる。長くリリーフを務める投手でも一筋縄にはいかないイニング跨ぎだが、これを難なくクリアしてしまうのだから、やはり根尾は非凡である。

 宮崎敏郎は4球でセカンドフライに、大和には制球が乱れてボールスリーとなるも4球目をストライクとし、最後は152キロで押してライトフライに打ち取った。上の権藤氏の言葉は、この時に発せられたものだ。確かに並の投手であれば、制球を修正できずにズルズルと崩れてもおかしくない場面。簡単に四球を許すことなく、ボールスリーからでも立て直せるのは、権藤氏いわく「教えてできることではなく、甲子園の経験がそうさせる」のだそうだ。

「投手・根尾」の真価が問われるのはまだ先

 まだ判断を下すのは早急だが、ここまでの11登板を見る限り根尾の投手転向は「成功」と見てもいいのかもしれない。打者として過ごした3シーズン半で、根尾の打棒に沸いたシーンは昨季の満塁弾を含めて数個しか思い浮かばず、溜息をついたシーンの方が遥かに多いのが実情だった。しかし投手転向後はしっかりと結果を残しており、純粋にプレーに対して拍手が送られるようになった。

 人気先行だった野手時代と比べても、今は戦力として数えられつつある。「野手・根尾」はもし根尾でなければ一軍に呼ばれることも無かったかもしれないが、「投手・根尾」は紛うことなきリリーフ陣の貴重な一角を担っている。ある意味で、野手3シーズン分の評価を、「投手・根尾」はわずか1ヶ月半で上回ったと言えるのではないだろうか。

 6月13日に転向が報道された際には、ファンの賛否の比率は2:8ないし1:9といったところで圧倒的に否の割合が多かったが、いまアンケートを行えば全く逆の結果が出てもおかしくない。

 あらためて「早急」だと念を押したうえで、根尾の投手転向が後年、立浪監督の功績の一つとして認められる日が来るかもしれないし、その気配が早くも漂いつつあるのは間違いない。心なしか野手の時よりも表情が太々(ふてぶて)しくなり、自信に溢れているようにも感じる。最初は違和感のあった投球フォームも、今となっては元から投手だったのかと錯覚するほど見慣れてきた。

 球団史上類を見ない大フィーバーを巻き起こした入団時には想像もしなかった未来ではあるが、これもまた規格外の根尾らしくて面白いではないか。

 安定して150キロ超を計測する真っ直ぐに、キレ味鋭いフォークとスライダーを自在に操る器用さを併せ持つ。ソトや宮崎の空振りを見ただけでもその球質が並大抵のものではないのは伝わってくるが、今はまだ対策らしい対策を施される前の “ボーナス期間” でもある。研究され、疲れが溜まり、打ち込まれてからどう立て直すか。

「投手・根尾」の真価が問われるのはまだ先だ。

木俣はようやっとる (@kimata23) / Twitter