ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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'99年世代だけどミレニアム生まれ〜爪痕を残した伊藤康祐

●2-5阪神(13回戦:バンテリンドーム)

 9イニングある野球とはいえ、囲碁・将棋を由来に持つ “先手必勝” の掟は例外なく通用するもので、先制点を取ったチームの勝率は7割弱にも上るのだそうだ(当然何点取ったかによって勝率は変動する)。

 後ろにジャリエル、ライデルという強力なリリーフが控えるドラゴンズなら、尚更その重要度は増すというもの。「投手力を中心とした守り方野球」は1998年以来脈々と受け継がれる伝統のポリシーでもある。

 この日、いち早く先制点のチャンスを掴んだのはドラゴンズだった。初回、1死から岡林勇希がヒットで出塁し、続く山下斐紹のショートゴロを中野拓夢がファンブル。思わぬ形で到来した一、二塁のチャンスだったが、昨夜の殊勲・アリエルは高めのカットボールを引っ掛け、最悪のゲッツーを取られてしまう。

 それでもツキはまだドラゴンズに向いていた。2回裏は先頭の阿部寿樹が二塁打で出塁。ここからボルテージは一挙に沸騰する。1死として高橋周平のなんでもないファーストゴロを大山悠輔が取り損ねたのだ。プロでは珍しい一塁手の後逸で一、三塁とチャンス拡大。しかし、「さすがに1点くらい……」という願いも虚しく後続が凡退に倒れ、またしても相手のミスにつけ込むことはできなかった。

 中日打線がチャンスに弱いのはもはや常識だが、これだけお膳立てしてもらったにもかかわらず生かせないとはお人好しにも程がある。一方、阪神は2死三塁から打線が繋がり、あれよあれよという間に4点を先取。

 重すぎるビハインドを背負い、試合は序盤にして早くも敗色ムードが濃厚に漂い始めていた。何度見たか分からない、いつものパターンと言ってしまえばそれまでだがーー。

きっかけ一つで人生を変えることのできる “コースケ”

 それといったチャンスもないまま淡々と凡打を重ねる味方に対して、3回に4失点を喫した松葉貴大はその後立ち直って7イニングを投げ切った。昨日、藤嶋健人を含めて8人のリリーバーを投入した反動から、今日の松葉は内容がどうあれ早い回での降板は許されないという “縛り” を課せられての投球。そのプレッシャーに負けず、しっかりと仕事をやり通したことは4失点を帳消しにするほどの価値があるといえよう。

 すると打線も7回裏、にわかに活気付く。先頭の高橋周平がヒットを放ち、1死一塁。ここで代打に送られたのは伊藤康祐だった。1ヶ月半ぶりに帰ってきた一軍の舞台。5月の昇格時はまだ根尾昂が外野手登録だったり、鵜飼航丞が重用されていたりと外野が飽和状態にあり、伊藤のような一芸に乏しいタイプはどうしても優先順位が低くなる状況にあった。

 しかし根尾は投手に転身し、鵜飼も二軍で再修行の身。「一芸に乏しい」などと失礼な書き方をしたが、伊藤の持ち味は意外性のある打撃と、大舞台での強さだと私は思っている。

 主将として出場した中京大中京3年時の夏の甲子園ではバックスクリーンへの本塁打を放ち、まだ10代で出場した平成最後の試合(2019年4月30日vs.巨人)ではフェンス際の打球をジャンピングキャッチ。みごとに令和『中日スポーツ』1面第一号に輝いたりもした。

 足も速く、守備、肩の強さも基準並みかそれ以上。突き抜けたものは無いものの、オールマイティと言い換えることもできる。この伊藤が頭角を表すのを今か今かと待ち侘びて早数年が経つが、まだ22歳と焦るような年齢でもない。加えて先述の勝負強さを持ち合わせているのだ。きっかけ一つで人生を変えることのできる選手だろう。

 代打の伊藤はツーシームにタイミングが合わず追い込まれるも、カウント2-2から膝下へのカットボールを強引に引っ張ると、打球はしぶとくライン際を破り、快速を飛ばして二塁に到達。味方が苦戦していた伊藤将司を打っちゃる二塁打によって、沈滞ムードの漂うスタンドに久々の拍手と声援が戻ったのだった。

 二軍では連日、同い年の大卒新人トリオの逞しい活躍が聞こえてくる。つまり1999年世代だが、伊藤康祐だけは早生まれのため “ミレニアム生まれ” の称号を持っているのも引きの強さを感じさせる。

 この日の二塁打が即ブレークのきっかけになるほど甘くはないだろうが、そろそろデカい仕事をして「伊藤康祐」の名を全国に知らしめてもいい頃だ。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter