ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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日本の夏、マスターの夏〜38年ぶりに咲いた「花かつみ」

○3-2巨人(14回戦:ヨーク開成山スタジアム)

 福島県は郡山に舞台を移しておこなわれたこの日の試合。『古今和歌集』にある「陸奥の 安積の沼の花かつみ かつ見る人に 恋ひや渡らむ」(よみ人しらず)でも有名な同地だが、この詩のなかの「花かつみ」が具体的には何の花を指すのかについては諸説あるそうだ。

「花かつみ」は『万葉集』にも使われるなど古来、歌枕として幾つかの詩に登場。後に興味を示した松尾芭蕉が、その正体を求めて郡山を旅した様子を『奥の細道』に記している。芭蕉は日が暮れるまで地元民に尋ね歩いたが(「かつみ、かつみと尋ね歩き」)、遂に結論を掴むことはできなかった。

 つまり「花かつみ」は、井上陽水の代表曲『少年時代』に登場する「風あざみ」と同じく実在こそしないものの、永年にわたり人々の想像を掻き立ててやまない “幻の花” なのだ。

 郡山では東北巡幸中の明治天皇に「花かつみ」としてヒメジャガを供したことから、昭和49年に市の花に認定。また愛知県阿久比町では古くからしょうぶを「花かつみ」と呼んでいたそうだ。いずれの説を取っても、共通するのは紫色の花が咲くという点、そして初夏の訪れを告げる5,6月の花であるという点だ。

 さて、前置きが長くなったが、このヨーク開成山スタジアム(旧・開成山野球場)でドラゴンズが前に勝利したのは1984年のこと。実に38年も遡らなければならない。この試合で殊勲打を放ったのが豊田誠佑だった。

 1点ビハインドの9回表、巨人・西本聖の前に簡単に2死を奪われるも、ゲームセット目前に田尾安志が四球で出塁。ここで代打で登場した豊田が2球目のカーブを思い切り叩くと、打球はレフトスタンドへと一直線。奇跡の逆転2ランとなった。

 ちょうどこの話を最近、東スポの豊田さんの連載「おちょうしもん奮闘記」で読んだばかりだったので、勝てばこの時以来というタイミングでの郡山遠征が何かの巡り合わせに思えてならなかった。

年に一度の東北遠征でみちのく男の意地を見せた

 13安打3得点。勝ちはしたものの、今ひとつスッキリしないのは多すぎる残塁のせいだろうか。特に延長10回表、無死満塁での押し出しによる1点のみという拙攻は、ようやくもぎ取った勝ち越し点の喜びも半減してしまうほどだった。

 最近10試合で本塁打が出たのは19日のヤクルト戦(アリエル、高橋周平)、昨日の巨人戦(京田陽太)の2試合のみ。かたや村上宗隆が一人で量産しているのを見ると、まるで別の競技をやっているかのような錯覚に陥る。ちなみに前回郡山で勝った1984年のドラゴンズは、球団史に残る屈指の強力打線でシーズン191本塁打を記録。30ホーマー以上を4人も輩出するという強竜打線が猛威を振るった。

 一方、現代のドラゴンズは単打でコツコツと繋ぐ野球が基本線だ。繋ぐのはいいが、ランナーが溜まれば投手だってギアを切り替えてくる。そうなると途端に打てなくなるのは単に実力不足なのだろうが、「あと一本」までは追い詰めるだけ余計に歯がゆい。

 そんな中でしっかりとチャンスをモノにしたのが、今夜のマスター・阿部寿樹だった。打撃の基本であるセンター返しを意識したバッティングで、打ちも打ったり5打数5安打の大当たり。タイムリー2本はいずれも2死から打ったもの。さらに10回表はチャンスを広げるヒットと、どれか1本でも欠けていれば間違いなく負けていただろう。

 7連敗を阻止し、同地での38年ぶりの勝利に大貢献。年に一度の東北遠征でみちのく男の意地を見せたわけだが、奇遇にも豊田も阿部も明治大学の出身。そして明大のスクールカラーといえば紫紺。そう、「花かつみ」と呼ばれるヒメジャガやしょうぶと同系統の色なのである。

 38年ぶりに咲いた「花かつみ」。『古今和歌集』の編纂から1,100年以上経つ今もなお、この地には幻の花の効力が宿っているのかもしれない。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter

【参考文献】

【豊田誠佑コラム】84年郡山の巨人戦での忘れられない一本 | 東スポのプロ野球に関するニュースを掲載

初夏の訪れを告げる“幻の花「花かつみ」”について | 阿久比町