ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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刹那の判断〜逆転機を逸した一瞬の “迷い”

●3-7東京ヤクルト(10回戦:バンテリンドーム)

 野球の醍醐味は “刹那の判断” にあり。約180分の試合のなかで勝負が決まるのは一瞬。結果的には接戦とは言い難いスコアに終わったが、この日の試合は両軍の判断力の差が明暗を分けた。

 まずは初回、松葉貴大の立ち上がりを攻めたヤクルトが満塁のチャンスを作るも、オスナが平凡な内野フライに倒れてツーアウト。続く6番・中村悠平を2ストライクまで追い込んだのは良かったが、ファウルを挟んだあとの6球目を引っ張った当たりがレフト線を深々と破り、これが走者一掃の3点タイムリーとなった。

 いきなりビハインドが重くのしかかる展開。打たれた松葉は満塁とあって遊び球を使う余裕がなく、素直にストライクゾーンで勝負し過ぎたのが仇となった。ただ、ここは打った中村を褒めるべきだろう。

 開幕しばらくは5割前後を行き来していたヤクルトの快進撃は、下半身のコンディション不良で出遅れていた中村の復帰から始まったといっても過言ではない。手前味噌ではあるが、今や木下拓哉と並ぶ球界を代表するキャッチャーの一人。特にここぞの場面での勝負強さには目を見張るものがある。

 だが、より強く言及したいのは3点目のホームを踏んだ村上宗隆の走塁だ。一塁から一気にホームへと駆け抜けた全力疾走。リプレイを確認すると、レフトの大島洋平がフェンス際で打球を処理した時点で村上はまだ二、三塁間のハーフウェイにいたことが分かる。決して俊足ではない村上なので、必ずしもセーフになると言い切れるタイミングではない。

 グラスライン後方でカットに入った京田陽太の返球がやや逸れたため割合と余裕でホーム生還できたが、場合によっては際どいタイミングになってもおかしくなかった。慎重な三塁コーチならストップをかけていたかも知れないが、ひとつ確実に言えるのは、少なくとも村上自身には一切の迷いが無かったという事だ。

 なんの躊躇もなくフルスピードでダイヤモンドを駆け抜け、一瞬たりともボールの行方を見る事なく最後はスライディングで生還。打つだけではなく、走塁面でもチームを牽引する若きモンスター。なるほど、ヤクルト。強いはずである。

チャンスを逸した岡林のスタート遅れ

 一方のドラゴンズは2点ビハインドの5回裏に反撃。ヒットと四球で満塁のチャンスを作ると、高橋周平が冷静に押し出し四球を選んで1点差に迫った。なおも1死満塁で、打席には4番・アリエル。制球を乱す原樹理を相手にここで突き放せなかったのが、結果的には痛手となった。

 2球目、アリエルの放ったライトへの浅いフライで大島洋平が生還して試合は振り出しに。だが三塁を狙った岡林勇希がタッチアウトとなり、1死満塁の大チャンスは犠飛の1点止まりで潰えてしまった。

 フライの浅さから見て、右翼手がホーム刺殺を狙うのは確実。ならば岡林は捕球と同時に三塁を目指すべきではなかったか。見直してみると、タッチアップでのスタートの遅れをカメラがはっきりと捉えていた。

 一瞬の迷いが生んだもったいない走塁死。このパターンのアウトが、ドラゴンズにはやたらと多いのが何年も前から気になっている。細かいデータが手元にないので実際の数値は分からないが、27アウトのうちの貴重な1アウトをみすみす献上するプレーを「積極的な走塁死はオーケー」の一言で片付けてしまっていいものか。

 この走塁死の原因は明確に “岡林のスタート遅れ” である。大島が走るのを確認した上でスタートを切った分、わずかな遅れが生じたのは分かる。ただ、走ったからには絶対にアウトになってはいけなかった。

 逆転機を逸したドラゴンズと、同点で堪えたヤクルト。その後どちらに流れが向くのかは、火を見るよりも明らかだ。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter