ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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若者を襲った悪夢の53球

 5月最終週の日曜日、晴天に恵まれた甲子園球場のマウンドに1人の若者が立っていた。加藤翼ーー。帝京大可児高校から2020年のドラフトで中日ドラゴンズにドラフト5位指名された、最速150キロ超のストレートが魅力の投手だ。

 ルーキーイヤーの昨年は体力作りに専念。ウエスタン・リーグでの登板はなかったものの、練習試合で実践デビューするとみやざきフェニックス・リーグ15試合中7試合に登板した。飛躍を期待された今年のキャンプでは北谷でのストライクテストにも指名された。

 将来の投手陣を背負って立つためのステップとされた2022年、二軍で実戦経験を積んで開幕から5試合連続無失点ピッチング。順調のようにも思えた若者の成功への道がある日突如として閉ざされてしまった。

スッと途絶えたサクセスロード

 2022年4月18日、ナゴヤ球場でのソフトバンク戦の6回表に登板した加藤翼は先頭の緒方理貢をインローのストレートで空振り三振に奪った。劣勢の展開とはいえ、今日もしっかりと抑えて評価を高めていきたいところだった。

 しかし、そこから事態は暗転した。何がどうなったのかは分からないが、6人連続フォアボール。後続投手もすべてランナーを生還させて1/3イニング6失点。中3日で気持ち新たに迎えた22日の広島戦は5点リードの9回に登板したが、打者2人連続でフォアボールを与えマウンドを降りた。結局この試合、若竜は最終回に9点を失う大逆転負けを喫してしまった。

 根尾昂が登板し話題になった5月8日の甲子園では8回2アウトから登板するも、打者3人にフォアボール、長打、フォアボールで満塁のピンチを作り降板。アウト1つが遠い登板が続いていた。

 高めに抜けたストレートを制御できず、ストライクゾーンにボールがいかない……。予兆は前回登板にもあった。池田凌真に高めのボールをヒットにされると、次打者の平野大和には投げる球すべてが高めのボールゾーンに散らばった。犠打でアウトを奪うもその次の元謙太を四球で歩かせると、マウンドを石森大誠に譲っていた。

 メカニック的な部分なのか、メンタル的な部分なのか、はたまた故障なのかは分からないが、いわゆる「イップス」状態であったのではと思われる。だとすれば、時として選手生命を終わらせてしまう厄介な症状が19歳の若者に襲いかかった事になる。

 ストライクが入らなくなってから都合53球。ついに加藤翼の姿はマウンドから消えてしまった。

暗闇だからこそ見えた “光”

 そこから半月以上が過ぎた5月29日、阪神戦の8回裏。久々に「加藤翼」の名が球場にこだました。私はネット裏から彼の姿を期待1割、不安9割の配分で見守っていた。

 プロのユニフォームをまとった加藤。高校時代にスカウトを唸らせたしなりのあるフォームや、そこから繰り出される勢いあるボールとは程遠い、140キロ前後のストレート。ただ、当時よりもがむしゃらな加藤の姿がそこにはあった。

 ある意味での “復帰マウンド” である。おそらく加藤自身も半信半疑で投げていた部分があったのではないだろうか。だからこそ、一つのアウトが何よりの薬になる。先頭・藤田健斗への初球。内角高めのストレートを捉えた打球はレフト後方を襲ったが、一所懸命に三好大倫が走り、ギリギリのところでキャッチ。

「どんどん攻めよう!!」「良いボール行ってるよ!!」「ほらほらもっともっと!!」

 一塁から石岡諒太の威勢良い声が聞こえ、それに応えるように若者は腕を振った。ウエスタンで打撃好調の一塁手は初回から最終回まで、グラウンドで誰よりも大きな声で投手を鼓舞していた。故障者が続出した影響で二軍降格を余儀なくされた中堅選手だが、その姿は誰よりもひたむきさに溢れていた。

 そして後続打者の木浪聖也をセンターフライ、中川勇斗をライトフライに抑え、スコアボートにゼロが刻まれた。わずか8球での三者凡退。ホッとした表情で三塁ベンチに戻る加藤を、仲間が出迎える。最速は140キロそこそこではあるが、まずはゼロに抑えたという事実に勝るものはないだろう。

 再び間隔を空けて登板した6月9日の広島戦では2つの三振も奪った。2試合連続の無四球、そして無失点。閉ざされていた加藤のサクセスロードが再び開くのを感じた。

 あのとき苦しんだ53球が、やがて150キロの豪球で強打者をなぎ倒す未来への糧になることを信じてやまない。もちろん舞台は一軍で。

yuya (@yuya51) | Twitter