ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

根尾昂が呼び起こした60年前の二刀流・ニューク……とドン川上の辞任問題

 去る5月21日、広島戦で実現した根尾昂の投手登板は、ドラゴンズ界隈のみならず球界全体に衝撃を与えた。スポーツニュースやYouTubeでは評論家たちが是非を語り、翌朝の『中日スポーツ』は大敗をスルーして根尾の話題が1面を飾った。

 目を引いたのは、その紙面に載っていた懐かしい名前だ。中日の野手登録選手が一軍の公式戦に登板したのは60年ぶり。1962年10月9日の大洋戦に “登板” した選手として紹介されていたのが、ニューク外野手だった……。

 

 というわけで『中日新聞+』の拙連載「B面ドラゴンズ史」、今回は60年前の二刀流・ニュークについて深掘りしてみました。

例によって氏の代表的な経歴はwikipediaや他メディアの記事に丸投げするとして、ここではニュークを中日が獲得することになった経緯と、肝心の二刀流が実現した試合にスポットを絞りました。

 下記リンクよりお楽しみください。

plus.chunichi.co.jp

 

同日、世間を賑わせた “ドン川上” の辞任問題

 局地的に話題になったニュークの登板。しかしこの日世間を賑わせたのは、巨人・川上哲治監督の辞任問題の方であった。後に空前絶後のV9を成し遂げる大監督。その川上に辞任が取り沙汰された事があるのは、あまり知られていない。それも原因は「成績不振」だというから意外だ。

 実はこのシーズン、川上率いる巨人はBクラスの4位に沈んでいた。前年は就任初年度にして日本一を果たした川上だが、この年は一度も浮上することなく中位をうろつき、夏場になって中日に抜かれるとそのまま4位でフィニッシュ。2リーグ分立後初のBクラスとあって川上への風当たりは強く、本社でのシーズン報告がおこなわれるこの日、川上が辞表を提出するのではという観測が一部メディアで報じられたのだ。

 色めきだったマスコミが読売新聞本社前に集結。しかし現れた川上は背広の内ポケットを見せながら「辞表なんか出さないよ」と応じる余裕ぶり。結局、正力松太郎オーナーからも進退に関する話題はなく、再びマスコミに姿を現した川上は「4位の責任は感じているが、それがどうした。来季こそ優勝だ」と、騒動を豪快に笑い飛ばしたのだった。

 もしこの時、川上が辞任していたらその後のプロ野球の歴史が大きく変わっていたのは必至だ。特にドラゴンズは西沢道夫監督が率いた1965〜67年に3年連続2位と巨人の後塵を拝しており、ここで一回でも優勝できていれば、西沢は「初代ミスター・ドラゴンズ」の称号のみならず優勝監督としての不動の評価を得ていたに違いない。

 余談だが川上も西沢も現役時代は二刀流で名を馳せた選手である(投手としての実績は西沢が圧倒しているが)。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter