ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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プロの洗礼~ベンチから戦況を眺めた上田洸太朗の傷心

●0-2楽天 (2回戦:バンテリンドーム)

 まるでVTRを見ているかのような攻撃だった。初回、3回裏の楽天の得点シーンである。先頭の西川遥輝が出塁し、1死から浅村栄斗と島内宏明の連打でそれぞれ1点ずつ献上。上田洸太朗の二度目の先発は、3回4安打3四死球2失点という苦い結果に終わった。

 驚いたのは、この投球に対するベンチの見切りの早さだ。3回裏の先頭で回ったところで福田永将が代打に送られ、上田は打席に立つことなくベンチに退いた。3日前に柳裕也の乱調でリリーフ陣をつぎ込んだため、今夜はもう少し我慢するかとも思われたが、ベンチの決断は早かった。逆に4点、5点取られていれば続投もあり得たのだろうが、傷口が浅いうちに追いつきたいという意図は理解できる。

 結果的には藤嶋健人をはじめ5投手が登板。明日の予告先発が5回までの男・松葉貴大であることを考えれば厳しい運用ではあるが、不安定な上田をあのまま続投してもズルズルと失点を重ねていたのは明白。晒し投げのようにして若い芽を潰す恐れもあるだけに、やむを得ない降板だっただろう。

並の同い年なら、もしバイトで同じような目に遭ったら速攻でバックれてもおかしくはない

 ただ、降板したから安心というわけじゃない。なにしろ早い時間にノックアウトされた投手が、その後ベンチから戦況を眺める心情は察するに余りある。自分のミスで先輩の手を煩わせるというシチュエーションは、社会人なら一度は経験したことがあるはずだ。いわんやミスした後も3時間近く現場に帯同しなければならないというのは、色々シンドイに決まっている。

 これも経験、糧にして次頑張れと周囲はつい無責任に言ってしまいがちだが、当人からすればそう簡単に割り切れるものではなかろう。だって立浪監督怖いし。でも、その立浪だって上田と同じようにガラスの十代はあったのだ。

 上田よりもずっと体が小さく、プロ集団の中に入ると社会科見学の中学生が紛れ込んでいるようにさえ見えたという。それも、当時のベンチといえば星野監督を筆頭に、落合博満、宇野勝、小松辰雄といったド迫力の昭和メンズ揃いだ。

 ベンチの先頭で星野がにらみを効かせれば、その後ろで両肘を背もたれにかけて踏ん反りかえっている三冠王。殺気だった仁村徹が素振りを繰り返し、“特攻隊長” 岩本好広は相手ベンチに対して威嚇と挑発を繰り返す。横を見れば島野育夫ヘッドが目をギラつかせながら選手を鼓舞し、星野が中村武志を連れてベンチ裏へ下がったと思ったら何やら不穏な衝撃音が響き渡る……。

 そんな環境に18歳で放り込まれた立浪も、当然ながら自身のエラーが敗北に繋がったことは幾度となくあるわけだ。そんな時、鬼の星野が優しい言葉をかけたとは思えない。「立浪は殴られたことがない」とは言うが、それ相応の大目玉を食らった経験は一度や二度ではないはずだ。立浪はそれを乗り越えて超一流になったが、圧に耐え切れずに潰れていった選手もいた事だろう。

 当時に比べて今は選手のメンタルケアが行き届いており、ベンチ裏で怒鳴り散らされるような風習は過去のものとなった。それでも降板後の試合を延々と眺める苦しさはいつの時代も共通。

 立浪監督に「サラリーマンみたいやな」といじられるほど貫禄のある顔立ちと体つきは10年選手のそれに比べても遜色ないが、それでも19歳は19歳だ。並の同い年なら、もしバイトで同じような目に遭ったら速攻でバックれてもおかしくはない。

 しかし、プロ野球には逃げ道はない(バイトに逃げ道があるわけではないが)。5回を投げ切った前回とは違い、プロの洗礼を浴びた今回は色んな意味でプロの怖さを味わったことだろう。だがこれも全ての選手が一度は通る道。結局、周りは「これも経験、糧にして次頑張れ」とエールを贈る事しかできないのである。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter