ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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最後から二番目の……小笠原慎之介ならきっと。

「最後かもしれない」

 球史に名を残す大エースを堪能できる回数を考えると、チャンスがある時に行くしかない。しかも、パ・リーグの所属となると益々観戦の機会は限られてくる。後悔したくない一心でバンテリンドームに足を運んだ。

あの日、あの時、あの場所

 楽天戦を観戦するのは15年ぶり。その日は実に不思議なオープン戦だったことを覚えている。公式戦ではないにもかかわらず、チケットが中々取れなかったからだ。

 それもそのはず、大型新人・田中将大が名古屋初見参。当時のフィーバーを通して、甲子園のヒーローが日本人にとって特別な存在であることを身をもって実感した。

 更に不思議だったのが、ドラゴンズに中村紀洋がいたことだ。大きな背中には、明らかに不自然な「205」。

 3桁の数字は、超大物の身に色々あったことを物語っている。しかし、「いてまえ」の看板がなくともノリはノリ。

 4回裏の第二打席、田中のストレートを弾き返した打球は、美しい放物線を描いて左中間スタンドに飛び込んだ。

 あの対決から長い月日が経過した。一方は東北に初めての歓喜をもたらし、「ピンストライプ」を身に纏った。

 もう一方は、ドラゴンズを53年ぶりの日本一に導いたのち、さすらいのバットマンとして球界を生き抜いたのは記憶に新しい。

 そんな両雄は、現在当時と同じチームに帰ってきている。折角の顔合わせの日だというのに、球場にいるのが片方のみなのは、少々残念でならない。

君があんまりすてきだから

 本日楽天の先発は勿論「マー君」。高校を卒業したての頃は線の細さが目立った身体つきも、いまや立派な大樹のよう。キャリアの積み重ねが神々しさを際立たせている。可愛らしいあだ名が未だに通用するのが不思議なほどだ。

 一方ドラゴンズは、小笠原慎之介に3連戦の初戦を託した。偶然なのか、現地観戦の日は先発・小笠原が異様に多い。

 調べたところ、昨年も8試合中4試合に先発。2016年には、黒田博樹の現役最後のドラゴンズ戦で投げ合っている。

 当時は駆け出しの身だったが、今や立派なローテーション投手。時の流れの速さには驚かされる。

 この日の小笠原は投球に細やかな工夫をこらしたことで、不利なカウントでも心配いらず。カーブが決まらなければ、スライダーやチェンジアップで楽天打線の打ち気を逸らしていた。

 主砲の浅村栄斗との第ニ打席には、チェンジアップをこれまでかと連投。しつこさの面でも相手を困惑させた。

 さらに間合いのメリハリ、時折織り交ぜるクイック、そして送りバント。ガムシャラに腕を振ることに精一杯だった少年は、すっかり「投手としてのたしなみ」を身につけている。

 その時の状況に応じた適切な球種と立ち振る舞いの選択は、良い意味で機械的かつ論理的に感じられた。行き当たりばったりにならなかったのは、捕手・木下拓哉を含めたバッテリーの勝利といってもよい。

「最後かもしれない」

 NPB屈指の投手に投げ勝った若き左腕にこの言葉は相応しくない。背番号11は、今後も圧巻の投球を披露するにちがいない。今後も球場に足を運ぶための動機が、本日見つかった。

 

yamadennis (@yamadennis) | Twitter