ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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8年越しの天敵〜石川昂弥のアーチに見出した希望

●2-7巨人(4回戦:バンテリンドーム)

 菅野智之に最後にナゴヤで土を付けたのは8年前まで遡らなければならない。2014年7月25日。当時24歳の菅野から森野将彦、和田一浩がアベック3ランを放って8失点KOした。さぞかし痛快な勝利だったと思うが、どういうわけだか私の記憶からはすっぽりと抜け落ちている。

 この年のできごとは、消費税8%への増税、STAP細胞論文の捏造など。カルチャー面では『アナ雪』がブームとなり、『笑っていいとも!』の放送終了も話題を呼んだ。近いようで遠くなりにけり過去。その間、今日に至るまで本拠地で菅野を倒せていないのはどう考えても異常であり、屈辱だ。

 ドラゴンズはかつて、やはり巨人のエースだった江川卓を本拠地で苦手としていたことがあるが、それでも8年間の通算は6勝12敗。3試合に一度は勝ち、その中には有名な1982年9月28日の「江川攻略」も含まれる。詳細に調べたわけではないが、同一リーグのローテ投手にここまで長年やられ続けるのは球団史を紐解いても例がないのではないだろうか。

 一方でこちらの先発・柳裕也は昨季巨人戦で4戦負けなしと抜群の相性を誇る。3月28日の試合では初回4失点とまさかのKOを食らいかけたが、その後は2試合連続完投と状態は悪くない。

 ちまたでは「首位攻防」なんて気の早い表現も見かけた。無論、悪い気はしない。8年ぶりの勝利へと機は熟した……かに思えたのだが、「ナゴヤの菅野」の壁は想像以上に高かった。

鬼の雄叫びから一ヶ月も経たずして……

 おととい28歳のバースデーに殊勲打を放った京田陽太に続けとばかりに今日誕生日を迎えた柳。だが、集中打を浴びた背番号17は呆然とマウンドに立ち尽くすほか無かった。5回1/3、6失点。被安打12はプロ入り後最悪という無惨なKO劇だった。

 ただ、悔しい負けのなかにも中日ファンが正気を保っていられるのは、2回裏に飛び出した石川昂弥のアーチに希望を見たからに他ならない。記念すべき本拠地初本塁打。それも、あの菅野から打ったのだから喜びもひとしおだろう。

 これまでもフェンス直撃はあったが、どうしても高くそびえ立つ青い壁を超えることができなかった。それを初めて突破した夜。さらに3号は阿部寿樹と並んでチームトップの数字だ。着々と成長を結果で示す20歳。去年とは言うまでもなく、開幕当初に比べても顔つきや佇まいに随分と自信が伴ってきたように思える。

 打たれた菅野もそれは感じているはずだ。

 忘れもしない開幕戦。3点ビハインドの6回表にドラゴンズは1死一、三塁のチャンスを作った。打席には石川。一打同点という場面で、カウント1-2から菅野の決め球であるスライダーに釣られて空振り三振。その時である。菅野が鬼の形相で何かを叫んだのだ。

 おそらくは「どうじゃ、こらー!」とか、「ざけんな、おらー!」とか、その類の言葉。もちろん石川が菅野に対して不遜な態度を取ったわけではないだろう。生意気にも開幕スタメンを張った若手に対して、酸いも甘いも噛み分けた大エースが叩き込んだプロの厳しさ。意地とプライドを込めた一球に、バットが空を切る。どうだ、これがプロ野球だと言わんばかりの雄叫びを目の当たりにし、敵ながら身振いがしたものだ。

 あれからまだ一ヶ月も経たずして、石川は菅野を打ち砕くバッターに成長を遂げていた。日進月歩にしたってちょっと速すぎる。

 8年間、本拠地で好き放題にやられてきた天敵に対し、今回もまた土を付けることはできなかった。だが一方的にやられ続けたこれまでとは違い、ドラゴンズは確かな希望を見出すことができた。

 次にナゴヤで対峙するのは、おそらく交流戦明けの6月半ば。「菅野攻略」へ、石川の進化はまだまだ止まらない。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter