ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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佐々木朗希完全試合の裏で ~あるちうにちファンの抱えていた呪縛~

 2022年4月10日。横浜スタジアムでのDeNA戦が中止となり、ZOZOマリンスタジアムへと出向いた。佐々木の完全試合で幕を閉じたこの試合について10日以上経った今、語ることは何もない。ただただ狂熱の渦に自分自身がいた事が信じられないほどだ。その日の夜のスポーツニュースのはしご、そして多くの評論家が語る「2度目、3度目もありますからね」という言葉に、ただ頷くしかなかった。

納得の交代は15年前と時代が変わったことを実感

 1週間後、マツダスタジアムでの中日打線に胸を躍らせながら、ワクワク気分で試合を見ていた。その裏で佐々木が完全試合ペースという速報を見て驚愕した。マツダの試合を余所に、マリンの中継にチャンネルを合わせてしまった。

 7回から投球を見届けたが、さすがに前の週のそれではなかった。9回のマウンドに益田直也が上がったが、8回の投球内容を見れば交代も納得。驚きは何もなかった。それ以上に驚いたのが球場の反応だった。声が出せない時世とはいえ、交代に異を唱えるような空気ではなかったからだ。

 

 時は2007年の11月1日に遡る。中日ドラゴンズが53年ぶりの日本一を果たしたその時だ。9回に入る直前、落合監督が主審に告げた口の動きは「山井(大介)のところに岩瀬(仁紀)」だった。

 騒然とした雰囲気の中、果たして岩瀬は3人でピシャリと抑え、金色のテープが舞う中53年ぶりの快挙をテレビ越しに見届けることができた。

 ところが、ナゴヤドームの雰囲気は騒然としたままだった。球場内から聞こえる「山井、山井」の大歓声。優勝監督インタビュー、そしてMVPインタビューの受け答え以外に鳴り響いた「山井」コール。確かに凄かった。ただ、私自身は岩瀬に交代したことは不思議でもなく、53年ぶりの日本一のために理解は追いついていた。

 だからこそ、いつまでも鳴り止まない「山井」コールに違和感を覚えていた。

嬉しかったはずの日本一が、悲しい日本一に

 忘れもしない21時54分、夜のニュース番組の第一声だった。

こんなことが起こって良いのでしょうか

 スポーツ実況でも造詣が深いキャスターだっただけに、ただただショックだった。その後も各TV局では同じように日本一達成ではなく、完全試合での日本一という前代未聞の快挙を、チームが放棄した、監督の一存で止めさせたという論調で語っていた。

 中部地方限定の日本一特番を見終え、翌朝になっても朝の番組で同じ議論、いや、批判を繰り返していた。ユニフォーム姿のファンに「言わせた」であろう批判的なインタビューを何度も流しながら。

 あちこちで繰り返された交代への批判は、15年の時を経て今は称賛に変わった。日本一での完全試合のチャンスは、毎年日本一に王手をかけたチームにやってくるが、2試合連続の完全試合となるとそのハードルは一気に上がる。なにせ前の試合で完全試合を達成していることが大前提だからだ。

 後に明らかになった事実として、山井の交代理由はマメができ、本人からの申し出で岩瀬に代わった。対して今回は選手としての成長過程、チームとしてのルール(100球を超えた次のイニングには行かせない)を踏まえて首脳陣の判断で決めたことだった。

 全く意味のないタラレバではあるが、もし15年前のあの日、スコアが5-0でリードしていたら、山井のマメが潰れずに8回まで完全試合を継続していたら、そして9回のマウンドに上がり3人で抑えていたら……。日曜日はどうなっていたことだろうか。

 佐々木の交代を肯定的に捉える論調が多い一方で、私の中の黒い部分はそんなことを思ってしまった。ときに15年前と同じように議論になってしまえ、とも思わなかったといえば嘘になる。それだけあの日の出来事は15年経っても葛藤となっていた。

呪縛が解けた日

 今回の佐々木の降板が世の中を騒がす一大ニュースにならなかったことは、15年前の出来事があったからに他ならないだろう。状況は違えど、チームとして行われる団体競技の目的を遂行したことは同じだ。その上で、一通のマリーンズファンの友人からのメールが呪縛を解き放った。

 「岩瀬の偉大さと、周辺野手の偉さもよくわかった

 当時のことをとやかく議論したわけでも、むしろ交代に異論はない友人だが、時を経て本当に共有できた感じを受け取り、肩の荷が降りたような気がした。この日の佐々木への8回パーフェクトを称える声が、益田の無失点ピッチングが、15年前の山井と岩瀬にも向けられているように思った。

yuya (@yuya51) | Twitter