ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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立浪和義「辛抱」と「負けん気」〜置かれた場所で咲き続けた野球人生

 立浪和義の監督就任が報じられた昨年10月12日から今日に至るまで、ずっと考え続けてきた事がある。

「なぜ立浪は中日ファンにとって特別なのか?」

 秋口には『君は立浪和義を知っているか』と題した連載モノを通して、その野球人としての足跡をあらためて振り返り、去る23日にオンライン開催された『bpstudy』というトークイベントでは、『君は〜』の内容を補足する形で25分間にわたり自分なりの「立浪論」を語らせてもらった。

 膨大な量の資料を読み漁り、この半年間で相当な立浪マニアになったと自負している。おそらく今なら『TVチャンピオン 立浪通選手権』に出場しても、いい線まで行けるんじゃないだろうか。

「辛抱」と「負けん気」

 若くしてエリート街道に乗った完全無欠のミスタードラゴンズ、というパブリックイメージを持つ立浪だが、意外にもその野球人生は挫折にまみれたものであった。“不動のレギュラー” どころか立浪のキャリアは常に怪我とポジション争いの連続で、選手会長の立場であっても不振でスタメンを外されたこともあった。

 イメージとは裏腹の傷だらけのキャリアを送る中で、それでも立浪が腐らなかったのは、著書のタイトルにもなった「負けん気」を人一倍強く持っていたからに他ならない。不慣れな外野にコンバートされても、チーム事情からあきらかにタイプではない4番を任されても、またレギュラー失格の烙印を押されて代打に甘んじても、立浪は葛藤や悔しさをバネにして、誰よりも輝きを放つのである。

 その生き様を端的に表すなら、こうだ。

「置かれた場所で咲き続けた野球人生」

 思えばここに至るまでの12年間だってそうだった。華々しく引退を飾ったあと、次期監督の最有力であることを誰もが信じて疑わなかった。ところが大役のオファーは一向に回ってはこず、気付けば現場を離れて10年以上の歳月が経っていた。

 後に立浪監督は「正直ここまで空くと『もう無いのかも』と思ったことがあります」(中日スポーツ2021.10.13付)と答えているが、ファンでさえ「長すぎる」と訝しんだのだから、本人の辛苦たるや想像を絶するものであったに違いない。

 ただ、立浪が偉いのはこうした理不尽ともとれる境遇に陥ろうとも安易に球団バッシングをしたり、愚痴を吐くような方向には走らず、あくまでも解説者として真摯に野球と向き合い続けた点に尽きる。学童野球「ナニワ・ボーイズ」時代に書いた座右の銘が「辛抱」だったという早熟な少年は、大人になってもなおその気持ちを失くさず、みごとに実践してみせた。そしてつかみ取った監督の座である。

きっと花は咲くだろう

 明日からいよいよ2022年ペナントレースが開幕する。決して下馬評の高くないドラゴンズに待つのは、栄光の日々よりも茨の道である可能性の方が高いだろう。だが、どんな状況になろうと立浪監督は弱音を吐くことも、投げやりな姿を見せることもないはずだ。ただ「辛抱」して努力するのみ。それだけが栄光への唯一の道であることを誰よりも知っている男こそが、この立浪なのだ。

 春の陽気とともに日本列島では続々と桜の開花を知らせる便りが届いている。開幕カードの地である東京の開花予想は27日だそうだ。立浪監督が大輪の花を咲かせるのは、今年の秋だろうか、それとももう少し先になるだろうか。「辛抱」「負けん気」で強く育ちながら、立浪ドラゴンズという名の花はいずれきっと咲き誇るだろう。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter