ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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少年とショーゴーの思い出 後編

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 2001年の少年ファンクラブ会員証は所属選手全員から選ぶことができた。おそらくほとんどの会員証には立浪和義や山崎武司といった一流選手の写真が入っていたことだろう。だが少年のファンクラブ会員証には少年の誕生日と、これまで1軍出場ゼロのショーゴーが写っていた。

 そしてその日はやってきた。忘れもしない5月1日の出来事だった。

 前日、横浜に大敗を喫した中日ドラゴンズ。中日スポーツには5回途中でノックアウトされた武田一浩と、記憶が定かではないが関川浩一が2軍降格するという誌面を目にした記憶がある。

 隅には森野将彦とショーゴーが用具をタクシーに詰め込む写真があった。少年はその記事を読み嬉しくて仕方がなかった。その日は何度も何度もファンクラブ会員証を眺めていた。

 東京ドームでの巨人戦。前日の負けを引きずる訳にはいかない。何せこのときの監督は星野仙一、そして先発は明治大学の後輩・川上憲伸だ。

 試合は前年大の苦手にしていた巨人先発の工藤公康から3回で8点を奪う猛攻を見せると、川上は巨人打線をゼロに抑える好投。11点差をつけて9回の攻撃に入った。

 その前からショーゴーは先発出場のティモンズに変わってレフトの守備についていた。そして9回表、チャンスの場面で1軍での初打席に立った。

 忘れもしない初球。野村空生のボールをフルスイングすると打球はそのままレフトスタンドに吸い込まれていった。プロ初打席初球ホームラン。少年の頭の中では、ナゴヤドームの写真撮影で交わした言葉が何度も何度もリピートされていた。

 「1軍ででっかいホームラン打つからね

 言葉通りそれは特大のホームランだった。何よりこの日は少年の15歳の誕生日。ホームランの瞬間は誕生日ケーキが目の前にあった、最高の誕生日プレゼントになった。

少年のその後

 ちなみに、次にプロ初打席初球ホームランが生まれるのは干支が一回りした2013年。奇しくも同じ外野手でスイッチヒッター、現中日の加藤翔平が記録したものだ。
 その2013年12月、少年はすっかり青年になり、ドラゴンズファンが集まる忘年会に参加していた。
 次々と出される美味しそうな料理を調理していたのは、ショーゴーさん本人だった。引退後、安城の地で「鉄板焼・ショーゴー」を経営していた。14年越しに顔を合わせる青年とショーゴーさん。宴席では緊張して会話ができずにいた青年は、意を決してひとり席を立ち、カウンター前で声を掛けた。

 恐る恐るファンクラブの会員証を差し出し「この年なんですけど……」と震える声を絞り出すと、ショーゴーさんは「あっ」と声を発した。続いて「これ、僕が初めて1軍に出た年ですね。しかも誕生日だ」と驚いだ表情で言った。

 「覚えていらっしゃらないと思うのですが、99年のナゴヤドームで写真撮影会があって、緊張する私に声をかけてくださったんです。1軍でホームラン打つからって。素敵な誕生日プレゼント、ありがとうございました

 ファンクラブ会員証の裏面にはサインが入っている。もちろん、当時の「ショーゴー」のサインだ。

yuya (@yuya51) | Twitter