ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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少年とショーゴーの思い出 前編

 1999年6月。
 中学生になったばかりの少年は、朝から自転車で最寄りの駅まで向かい、地下鉄鶴舞線に揺られていた。同級生とふたり上前津駅で乗り換え、終点の大曽根駅で降りる。そう、まだ名城線がすべて繋がる前の話であり、ナゴヤドーム前矢田駅が開業する前の話だ。

 その日は土曜日で、ナゴヤドームでウエスタン・リーグの中日 vs 近鉄戦が行われた日だった。グッズ売り場でプロ野球カードを買い漁り、入場のときを待っていた。入場待ちをするには理由があった。この日は先着で選手と写真撮影会というイベントがあったのだ。

 少年にはお目当ての選手がいた。今中慎二ーー。かつて天才サウスポーとしてセ・リーグ各球団の主力打者をなぎ倒し、名声をほしいままにしていた。しかしナゴヤドームの開業とともに成績は下降、1999年6月時点は一軍登板もなかった。

 今こそSNSを通じて球団や選手自らが発信をする時代になったが、当時は得られる情報源はテレビ、ラジオ、新聞、雑誌に限られていた。ましてや憧れの選手と写真を撮れる機会があるという情報はどうやって知り得たのか、当時に遡らないと皆目検討がつかない。

 写真撮影のメンバーは他にも2軍には荒木雅博、井端弘和、森野将彦といった将来の主力が軒並み揃っていたが、当時の少年の目線は背番号14を追い続けた。

 7、8人くらいの選手とドアラとともに写真撮影に臨んだ訳だが、少年は初めて至近距離で接するプロ野球選手たちを前にすっかり緊張してしまっていた。

 そんなとき、少年の座る真後ろに立っていた一人の選手が緊張をほぐすかのように肩もみをした。びっくりして少年が振り返ると、その野球選手は

 「今日は楽しんでいってね。活躍して、1軍の試合ででっかいホームラン打つからね

 と言って微笑んだ。

 話しかけてきた選手のユニフォームから見える背番号は「0」、当時2年目の外野手、ショーゴーだった。少年が発した言葉は「ありがとうございます」の一言だったが、それだけでも初めて会話を交わしたプロ野球選手に少年は大興奮。試合中の一挙手一投足はショーゴーに向かっていた。

 果たして試合は森野の内野安打がエラーを誘い、2-1で延長10回にサヨナラ勝ちを収めた。ショーゴーは3番・レフトで出場し4打数1安打で試合途中に蔵本英智と途中交代していた。

 それから数日後、現像したインスタントカメラを見てみると見事な逆光で写真はまったく判別できなかった。当時の運営さん、なんでわざわざ逆光になるゲート前で写真撮影したの。(後編に続く)

yuya (@yuya51) | Twitter

試合内容参考『若竜闘いの軌跡』