ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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「立つ」派?「座る」派? ベンチでの監督の「定位置」の話

●0-3阪神(オープン戦:甲子園球場)

 今さら打てないことをどうのこうのと嘆くつもりはない。歴史的な貧打にあえいだ昨季から一切の補強を断って若手育成に舵を切ったのだから、これしきの苦悩は織り込み済みだ。まさか中村紀洋コーチを迎えただけで目が覚めたようにポカポカ打ちまくるなんて、そんな甘い世界じゃないことは25年もプロ野球を観続けていれば分かる。「でもちょっとは期待したでしょ?」と問われれば、グギギと唸らざるを得ないが……。

 しかし強がりでも何でもなく、焦りや心配はない。この時期のチーム成績が大してアテにならないのもそうだが、今日のような若手主体の打線はシーズンを通して徐々に形になっていくものだと割り切って考えているからだ。

 おそらくシーズンに入れば、もっと深刻な状況はいくらでも訪れるだろう。ただ、結局はそうした経験を身をもって味わい、乗り越えていくことでしか人は成長できない。

 選手個人はもちろん、チームとしても、立浪ドラゴンズはまだ発展途上にある。いわばこの4連敗は必然であり、結果そのものより負け続ける悔しさを共有することが明日への糧になるのではないだろうか。 と、くだらない自己啓発本に書いてありそうな思考でポジるのが精いっぱい。1安打零封では敢えて触れるようなトピックスすらない、はっきり言ってそんな試合だった。

ベンチのちょっとした “変化” が組織バランスの微妙な揺らぎを表すことがある

 通勤、通学電車に乗るとき、おそらく大半の人が毎日の「定位置」を決めているはずだ。誰に言われるわけでもなく同じ時刻の電車に乗り、同じ車両の同じ場所に座るという一種のルーティン。「定位置」を決める理由はゲン担ぎ、降車した際に階段に近い等、いろいろあるとは思うが、特にこだわりなく毎日テキトーな車両に乗るという人の方が少数派だろう。

 野球の監督にも「定位置」はある。と言っても電車ではなく、ベンチの座る場所の話である。たとえば落合監督は決まってベンチの後方、壁際の席にひとり腰掛け、基本的には腕を組むスタイルで表情を変えずに試合を眺めるのがお決まりだった。打っても打たれても感情を極力表に出さず、何を考えているのか分からない不気味さは敵のみならず味方にも緊張感を与えたといわれる。たまにフェイスタオルで顔をゴシゴシと拭いたり、政権後期は「キシリクリスタル」というのど飴の袋を常備していたのも懐かしい。

 一方、星野監督は一次政権ではベンチの通路前での仁王立ちが基本スタイルだった。ドスの効いた声で檄を飛ばし、トラブルが勃発すれば我先にと駆け出す姿はまさしく “闘将”。怒りに任せて扇風機を破壊したり、茶碗を叩き割っていたのもこの頃である。

 1996年からの二次政権では体調不調の影響もあってか仁王立ちスタイルはやめ、ベンチの前列中央で足を組む姿勢がお馴染みとなった。肘を背もたれにかけ、持病の首痛が疼くのか左右に首を捻る姿がやけに迫力があった。一次政権に比べて丸くなったと言われるこの時代は試合中に笑顔を作ることも珍しくなかったが、大敗のときほど楽しそうにするもんだから「星野はニヤニヤしている時が一番ヤバい」なんて噂が立ったほどだ。

 直近では与田監督はホワイトボードの横に立つスタイルを貫いた。どうやら監督は「立つ」派と「座る」派に分かれるらしい。「立つ」派の代表格は、1998年に横浜を優勝に導いた権藤博だろう。右手を頬から顎に添えるポーズは権藤の代名詞でもある。「座る派」で思い浮かぶのは野村克也だ。ベンチ後列にドテーっと腰掛け、気だるそうに試合を眺める姿が懐かしい。

 さて、立浪監督はどうかと言えば、今のところは「座る」派のようだ。定位置は前列のベンチ側から見て右端。屋外ではサングラス、マスク着用のため表情がうかがえないのが少し残念でもある。なぜなら監督の動作、表情というのは、チーム状態を察する上での重要なヒントになり得るからだ。

 高木守道監督、権藤コーチの口論のような分かりやすいケースはもちろんの事、与田監督と伊東コーチの距離感が2年目以降あきらかに変わったとか、谷繁監督が佐伯コーチとばかり喋るようになったとか、ベンチ内のちょっとした “変化” が組織バランスの微妙な揺らぎを表すことがある。

 新任の立浪監督が今後、どのような立ち振る舞いをベンチ内で見せていくのか。できる限りチェックしていきたい。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter