ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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梅津の「226」事件!今季に懸ける想いが伝わった異例の長時間ブルペン

「逆境も心の持ちよう一つで、これを転じて順境たらしめることもできる」

 時の蔵相・高橋是清が皇道派に影響を受けた陸軍青年将校の凶弾に倒れた、いわゆる「二・二六事件」。その発生は今より86年前の雪の日のことだった。中日ドラゴンズの前身たる名古屋軍の創立からわずか一ヶ月後のことである。

 ふくよかな見た目と温和な性格から「ダルマ」と称された高橋是清は、幼少期より幾度もの逆境に晒されながらも「自分にはいつか良い運が転換してくるものだと」(『高橋是清自伝(上)』)信じ込み、その元来のポジティブ思考によって未来を切り拓いた人物としても知られる。

 さて、実際に事件が起きた26日を待たずして氏の格言を引用したのは、本日のブルペン投球において梅津晃大が自身最多の「226球」を投げ込んだという報道を目にしたからに他ならない。もし投げたのが「515球」だったなら犬養毅の最期の言葉「話せば分かる」を無理やり梅津の境遇にこじつけて文章を捻出していたのだろうか。それは結構大変そうなので、226球でよかったと思う。

 駄弁はともかく、この時期のブルペンとしては異例とも言える球数を放った梅津の意図とは何だったのか? 考えるまでもなく、未勝利に終わった昨季の雪辱に燃えているのである。

「未完の大器」が「未完」のままプロ生活を過ごして早4年目

「今年はしっかり勝負したい。やっぱりストレート。良い部分を紅白戦で見せたい」(中日スポーツ

 プロ3年間で最少の3登板にとどまった昨シーズン。最後の登板となった6月5日のオリックス戦では制球難を露呈し、無安打ながら5四死球を与えて2回0/3で降板した。投げている球は一級品ながら、コントロールを乱して自滅するパターンは、皮肉っぽく言えば梅津の “お家芸” にもなりつつある。

 加えて梅津といえば常に怪我が付きまとう選手という印象がどうしたって拭えない。おととしは自身最長となる10イニング(零封完投)を投げきった直後に右肘痛を発症して登録抹消。また昨年も6月の抹消以降は9月19日の二軍戦に登板するまで実戦から遠ざかっており、公表こそ無かったものの、どこかを故障していたものと見られる。

 そもそも仙台育英高時代から故障が多く、東洋大では「三羽ガラス」の一角に数えられながら、怪我の影響もあって4年間で1勝どまり。それでもドラフト2位の評価を得るのだから、言い換えれば「怪我さえなければエース級」のポテンシャルを秘めているのは間違いない。

 ドラゴンズといえば落合英二、吉見一起、大野雄大とアマ時代に大きな故障を経験した投手を復活に導いた実績があり、梅津も先例に倣う形で獲得に踏み切ったのは明らかである。

 ただ、梅津に関してはさすがに故障が多すぎると言わざるを得ない。「未完の大器」が「未完」のままプロ生活を過ごして早4年目。そろそろ目に見える実績を作らなければ、上位指名といえども立場は厳しくなるだろう。

 高橋宏斗を筆頭に開幕ローテ入りを狙う若手は少なくない。その中で競争に勝っていくには紅白戦、練習試合、オープン戦と実戦で結果を残していくことが近道となる。投げて投げて投げまくり、まずは11日の紅白戦で元気な姿をアピールしたいところだ。

 一方で梅津の3つ隣のブルペンでは、柳裕也が1時間20分にわたってオール直球で224球と異例のロングラン投げ込みを敢行。疲れを見せるどころか、終盤に向かうにつれて低めビタビタに決める投球には、昨季二冠王の貫禄さえも漂っていた。ほぼ同じ球数を競うように投げた両者だが、おそらく意識したのは梅津の方。とは言えエース柳もつい3年前まではローテ入りを目標とする一人だったのだ。

 226球を投げても午後のノックでは笑顔をみせながら右に左に打球を追いかけた本日の梅津。気力十分。悲壮感はない。勝負の4年目へ、逆境に晒され続けた梅津のプロ生活も、そろそろ “順境” に転じていい頃合いだ。

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter

【参考資料】

高橋是清「随想録」中公クラシックス,2010