ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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ある日のドラゴンズ⑯ナゴヤ初見参!ルーキー立浪はやっぱり只者じゃなかった!

 プロ野球の歴史は、記憶にも記録にも残らない「ある日」の積み重ねで出来ている。

 年間140試合のうち10年後も思い出せる試合は幾つあるだろうか。何の変哲もない日常はやがて記憶の彼方へと埋もれてゆく。

 しかし、忘れ去られた「ある日」もたまに引っ張り出してみれば案外懐かしかったり、楽しめるものである。一部界隈から好評の当ブログ名物コーナー「ある日のドラゴンズ」、性懲りもなく今年も埃だらけのアルバムをめくってみるとしよう。

1988年3月13日 vs日ハム(オープン戦)

「ある日」と言うには恣意的に選んだのは否めない。ただ、ほとんど語られる事のない日付であるのは間違いない。1988年3月13日ーーこの日付がいったい何を示すのか。一発で答えられる方がいたら、ぜひ弟子入りさせていただきたく思う。

 実はこれ、立浪和義が “デビュー” した日なのだ。と言うと、うるさ型の古参ファンは眉をひそめるだろう。「立浪のデビューは4月8日の大洋戦だろ」と。それは公式戦デビューで、かと言ってオープン戦のデビューも別の日だったりする。それじゃこの日付は何なのか?

 種明かしをすると、この日は立浪が初めてナゴヤのファンの前に登場した日。すなわち「ナゴヤ球場デビュー記念日」というわけだ。開始12時30分、観衆は1万2千人と記録されている。この年のドラゴンズは米国ベロビーチでキャンプを張った影響で日本のオープン戦への参加が遅く、3月も半ばに差し掛かったこの時期まで本拠地を留守にしていたのだ。

 それだけに地元のファンは星野ドラゴンズの凱旋を首を長くして待っていた。異国の風に揉まれて帰ってきた竜ナイン。初めてお目にかかるドジャースブルーのユニフォームに袖を通した選手たちの姿は、心なしか以前よりも頼もしく映ったに違いない。

 だがファンの熱視線は、屈強な男たちの中にあって一段と小さく見える好青年に注がれていた。真新しいユニフォームに刻まれた背番号3の持ち主は、ルーキー・立浪和義である。

 高校の卒業式を終えたばかりの18歳。ピカピカの1年生は、この日さっそく「2番ショート」でスタメンに名を連ねた。もちろん「お試し」なんかじゃなく、ひと月後の開幕戦を見据えての起用である。

 初回無死一塁で初打席に立つと、外野スタンドから聞こえてきたのは巷で人気のあのメロディだった。「♪生まれ持つ野球センス〜」と応援団が歌うのは、光GENJI『ガラスの十代』の替え歌。後に立浪の若手時代の代名詞となるこの応援歌が初披露された瞬間である。

 この時ちょうどチャート15週連続ベストテン入りという快進撃の真っ只中にあった大ヒット曲は、まさしく輝きながら10代を疾走していた立浪のイメージにもピッタリだった。そしてその輝きは、やはり飾りではなく本物だった。

 注目の初打席。バントの構えからバスターに切り替えてライト前に打球を放つと、ランナーはたちまち三塁まで進塁。エンドランのサインに応えると、続く2回には2死満塁でレフト前へ2点タイムリーを放つ大活躍。みごと2安打2打点の衝撃デビューを果たしたのだ。

 これ以上ない強烈デビューに地元ファンは狂喜乱舞。めったに選手を褒めない星野監督も「いい選手だから1位指名したんだ。当たり前のことだよ。これで目立つようじゃいかん」と初めはクールを装っていたものの、「けど目立ってたな。今日はこれ(立浪)がチームを引っ張った」と思わず相好を崩したほどだ。

 当の立浪のコメントも拾ってみよう。

「最初の打席はエンドランだったでしょ。転がせばなんとかなる、それだけですね。たまたまコースがよかったんです」

 緊張でガチガチになるどころか至って冷静に振り返る肝っ玉は流石というか、なんというか。プロ20年目のベテラン並みにうまい謙遜まじりのコメントからは、早くも将来のリーダーの素養を感じずにはいられない。今よりちょっと声が甲高いくらいで、既にルーキー時点で人格形成は完成していたのではとさえ思わせる。

守道さんも感心したクレバーな判断

 ところでこの日、評論家席から晴れ舞台を見物した高木守道氏が感心したのは先頭打者で迎えた7回の打席だったという。カウント0-3(当時の表記に準拠)から4球目を見送って1-3とすると、続く5球目は打って出たいのをグッと堪えて見送り、フルカウントになった。高木氏が “素質” を見出したのはここである。

「この回の立浪は先頭打者だった。まず塁に出るという事という先頭打者の務めが、四球出塁を考えさせ、見送らせたのだ。こうしたことを考え、実践できることに、私は感心させられた。投ゴロはあくまで結果なのだ」「高木守道のバックトス」より

 ただ打つだけではなく、クレバーさもアピールできるのが立浪の凄いところ。貴重な出場機会をあっさり凡退して潰してしまう若手がほとんどの中で、これだけのパフォーマンスを見せることができたら大したものだ。

 ちなみに高木氏が現役時代の通算IsoD(出塁率-打率)は0.04と、極端な早打ちだったことが窺える。自身が苦手としていた「待ち」を会得した新人の登場だけに、余計に強く感心したのかも知れない。

 それではまた、ある日どこかで。

1988.3.13

○中日5-2日ハム

勝・近藤 負・佐藤誠 セ・郭 本・ゲーリー

木俣はようやっとる (@kimata23) | Twitter

【参考資料】

中日スポーツ