「コントロールは投手の命である」
巨人の投手コーチを務める桑田真澄は、解説者時代から事あるごとにコントロールの重要性を説いてきた。速さはいらない、あくまで大切なのはコントロールなのだと。
また昭和の鉄腕・稲尾和久は駆け出しの新人時代、中西太、豊田泰光らを相手に打撃投手を務める中でコントロールを磨き、不世出の大投手としての礎を築いたとされる。
そうは言ってもプロの投手ならストライクゾーンに投げられるのは当たり前。変化球や打者との駆け引きの中で際どいゾーンにコントロールするのが難しいのだと、私のような素人は半ば常識として捉えてきた節がある。
だが、実際にはそうではなかった。キャンプ3日目、落合英二コーチの発案でおこなわれた「ストライクテスト」は、常識を覆すまさかの現実を炙り出してみせた。
午前10時20分。土砂降りの雨が視界を遮るブルペンに、険しい表情の若手投手たちが横一列に並んだ。ルールは単純明快。ストライクゾーンを狙って直球のみ10球投げ、3分間インターバルを置く。これを3セット続けて、計30球のうち何球ストライクが取れるかを確認する。以上。
捕手のミット目掛けて何の縛りもなくストライクを放るだけなのだから、プロなら9割程度は入るに決まっているではないか。ほとんどのファンや報道陣がそうやって高を括っていたに違いない。ところが蓋を開けてみると、多くの投手がまともにストライクを取れないという驚くべき現実が待っていた。
一等優秀だったのは25球をストライクにした岡野祐一郎で、次いで高橋宏斗(24球)、上田洸太朗(22球)と続く。20球以上を記録したのは17名中、半数以下の6名。橋本侑樹、近藤廉、マルクに至っては半分以上がボールゾーンに散らばった。
針の穴を通せ、と言っているのではない。何のプレッシャーもない状況で、ただストライクを取るだけの作業にプロの投手がこれほど苦戦するとは……。今まで漠然と抱いていた固定観念を覆された気分がした。
「で、お前は何ができるの?」結局重要なのはそこ
近年、プロ野球の世界では新しい理論が次々と生まれ、一種のムーブメントとなっている。「ポップ成分」や「ピッチトンネル」など、ひと昔前には聞いた事もなかった理論が当たり前のようにファンの間で語られ、また選手たちも共有する時代である。それもまた悪いわけではないのだろうが、落合コーチはこう言いたかったんじゃなかろうか。
「で、お前ストライク投げられるの?」と。
9割は入るだろうと甘く見積もっていた私はともかく、落合コーチは夕方のラジオ番組でテスト結果について問われ、「最低限7割のストライク率を求めたかった」と証言している。韓国サムスンでも同様のメニューを課したと言うから、プロといえども決して神がかったコントロールを有しているわけではない事は委細承知していたようだ。
その上で一ヶ月も前から実施を予告し、いざ投げさせてみたらノルマの7割(21球)をクリアしたのは3人だけという寂しい結果だった。満足にストライクも取れない技量にもかかわらず、理論を追求する事ほど主客転倒した話もなかろう。
何かと理屈、理論に走りがちな世の中である。「YouTubeで誰々がこう言ってた」「インフルエンサーの本に書いてあった」
とある球団のコーチもこうした風潮に警鐘を鳴らしていたが、一般企業でもやけに弁だけが達者な若手社員が増えてきて鬱陶しく思っている中年諸氏も多かろう。基礎を疎かにしていてはいくら応用を学んだところで身につくはずもないのに。
社会に出れば、問われるのは常に理論ではなく実践である。
「で、お前は何ができるの?」
結局重要なのはそこ。つべこべ言う前にストライクくらい投げられるようになれ! 前代未聞のストライクテストには、現代社会にも通ずるキツい叱咤を垣間見た気がした。
(木俣はようやっとる)
【参考資料】
高橋安幸「伝説のプロ野球選手に会いに行く」,廣済堂出版,2012
東海ラジオ「吉川秀樹!抽斗!」