ちうにちを考える

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立浪監督も注目⁉︎ 長身イケメン「まつきひら」が有望株の仲間入り

 推定年俸300万円。プロ野球選手の「格」が年俸の額で決まるとすれば、松木平優太はその最後尾に位置する存在だといえる。高卒の育成契約という条件では致し方ない面もあるが、そこらのサラリーマンよりも安い収入では野球選手らしい派手な生活など夢のまた夢。

 その松木平に声がかかったのは1月上旬の事だった。「俺のところへ来い」ーーまるでプロポーズのようなセリフの主は、昨季の二冠王・柳裕也だった。練習メニューについて相談したつもりが、思わぬ形で宮崎・都城市での自主トレに同行できることになった。

 柳といえば泣く子も黙る1億円プレーヤーである。松木平から見れば、まさしく雲上人。憧れの先輩なんて生半可なものではなく、ひと昔前なら会話すらできなくてもおかしくないほどの存在だ。

 思わぬサプライズに感激する暇もなく松木平は宮崎へと発ち、23日まで約2週間にわたり柳の隣で汗を流し、寝食を共にした。

 そしてその先に待っていたのは、キャンプの北谷メンバー入りという更なるサプライズだった。

投手に転向したのは精華高2年の秋

 キャンプ2日目。昨日に続いてブルペンに入った松木平の投球を真後ろで見つめるのは、他でもない立浪監督。パイプ椅子にどっかり腰をおろした立浪が、お手並み拝見とばかりに “松木平ウォッチング” を始めたのだ。さらに球を受けるのは正捕手の木下拓哉ときた。ヘタな実戦よりも緊張感のあるシチュエーションである。

 無名の18歳には少々荷が重かったろうが、ただでさえ存在感のある指揮官にじーっと見つめられながら松木平は、変化球をまじえて30球を投じた。

「見てくれると思ってもいなかった。あり得ない。本当にありがたい。アドバイスもしていただいた」日刊スポーツ

 モデルのように手足の長い松木平と、「プリンス」の愛称で鳴らした立浪監督のツーショットはさながら新旧アイドルの競演のようでもある。

 松木平が投手に転向したのは精華高2年の秋のこと。それまではまったく無名の存在だったが、わずか1年後のドラフトでは育成ながらプロに指名されるわけだから、いかに素質に長けており、また伸び代が大きいかが分かるだろう。その最大の特徴はなんといっても美しいフォームにある。右肘を柔らかく使ったしなやかな腕の振りは天性のもの。楽天・岸孝之を彷彿させる細身の体型から繰り出す力強いボールは、将来的には150キロ台到達も確実視されている。

 それにしても、だ。つい1年前は無名の育成新人という立場で右も左も分からぬまま読谷でせっせと体力作りに励んでいた青年が、エース投手の自主トレに同行し、一軍キャンプに参加し、そのうえ監督直々にアドバイスまで頂戴してたちまち有望株の仲間入りを果たすのだから、つくづく人生とは分からないものだ。

 長身で手足が長いだけでなく、顔もくっきりとした男前。一軍定着すれば人気の方もチーム随一になる可能性を秘めている。第2,3クールあたりからは読谷で調整に励む祖父江大輔、福敬登、松葉貴大にライデル、ジャリエルといった主戦級が続々と上がってくるだろうから、競争も熾烈になる。さすがにこのまま北谷でキャンプを完走するのは難しいだろうが、「松木平」というめずらしい苗字はここ最近の諸々の出来事ですっかりファンの間では定着したと言ってもよかろう。

 余談だが24年前の1998年9月8日、この日初めて一軍登録されたばかりのルーキー井端弘和がいきなり2点タイムリーを打ち、翌朝の中日スポーツで一面に掲載された際のこと。見出しの「井端」の横には「いばた」というふりがなが振られていた。まだ認知度も低く、「いはし」と読まれる事もあったのだろう。

 松木平も今はまだ「まつきだいら」と間違えて読むファンも少なからずいそうだが、いずれは誰もが一発で「まつきひら」と読めるような、そんな選手になって欲しい。最後尾からの大捲りはまだ始まったばかりだ。

(木俣はようやっとる)

【参考資料】

【中日】2年目の育成・松木平優太 柳から「俺のところへ来い」と自主トレに急きょ参加し鍛錬 : スポーツ報知