ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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M1制覇、錦鯉の涙に見た中年おやじの生き様

 かつてサッカー人気が急拡大していた頃、ワールドカップこそがプロ野球・日本シリーズに替わる国民的コンテンツになったという言説をよく目にした。それは視聴率や世間の盛り上がり的にみても、あながち見当外れではない。ただ、4年に一度の周期で文字どおり国民が一丸になるワールドカップの熱狂は、どちらかといえばオリンピックに近く、日本シリーズと比較するのは少々の違和感がある。

 それじゃプロ野球の地位は揺るぎないのかといえばそんな事はなく、あれだけ燃えたヤクルトとオリックスの激闘でさえも、熱心な野球ファンによる局地的な盛り上がりだった感は否めず、プロ野球の人気は長期失速の傾向から抜け出せずにいる。

 ならば今、日本中の注目を集め、翌朝の学校や職場がその話題で持ちきりになるようなコンテンツは滅んでしまったのか? といえばそうとも言い切れず、漫才の王座を懸けて戦うM-1グランプリこそが、かつての日本シリーズと最も近い位置付けにあると思っている。争うのが「日本一の称号」というあたりもしっくり来る。

 まだMLBが遠い存在だった時代、すべての野球選手にとって日本シリーズこそが至高の舞台であったように、すべてのコンビ漫才師にとっての目標であるM1の決勝ステージ。寒波に襲われた年の瀬の日本列島が、今年も “笑い” の渦に包まれた。

優勝とはかくも尊いものなのか

 若手漫才師の夢であるM1の頂点を取ったのは、50歳と43歳というベテランの風格漂う中高年コンビだった。最終決勝では7人の審査員のうち5人が投票する過半数超えの支持を受ける文句なしの優勝。その時、さっきまで猿より知能の低かった50歳・長谷川雅紀は感涙にむせび、相方の43歳・渡辺隆と抱き合って喜んだ。おそらく今後破られることのないであろう最年長チャンピオン誕生の瞬間だった。

 夢を追うのに年齢は関係ないーー。錦鯉が結果で証明してみせたメッセージに、胸を打たれた中高年もたくさんいることだろう。それにしても歳をとると涙もろくなるのだろうか。

 先の日本シリーズでは、胴上げの輪の中で目を真っ赤に腫らしたヤクルト・青木宣親の表情が印象的だった。両手じゃ抱えきれないほどの名誉をほしいままにしてきたあの青木が、人目も憚らず泣きじゃくるなんて。 “優勝” とはかくも尊いものなのかと、しばらくご無沙汰の中日ファンは嫉妬と羨望の眼差しでその姿を見つめるしかなかった。

 思い出すのは15年前、落合博満が流した大粒の涙だ。「すみません、涙もろいもんで……」。何が起きても平静を装い続けた孤独の指揮官が、声を詰まらせた優勝監督インタビュー。劇的なサヨナラ本塁打を打っても、憧れの長嶋茂雄を胴上げしても、決して表立って泣くことはなかった。そんなオレ流が初めて見せた涙に、ファンは驚き、感動したのだった。

 希望に満ちた若者の涙は美しいが、中年おやじが流すそれも味わいがあっていいものだ。次に見たいのは、もちろん立浪監督の泣き姿。そして来年45歳の福留孝介の存在も忘れてはならない。記憶する限り、我々はまだ福留の涙を見たことはない。2007年の日本一の際も福留は怪我でシリーズに出場できず、胴上げのシーンでもどこか距離を置いているように見えた。メジャー挑戦を表明したのはそのひと月後のことだった。

 あの福留も立派な中高年。またこうしてドラゴンズの選手になったのも何かの縁だろう。幼少期の憧れだったという立浪監督を胴上げした暁には、感極まった姿が見られるに違いない。そして優勝を決める代打サヨナラタイムリーを放ったCRコースケはこう叫ぶのだ。

「ライフイズビューティフル!」

 

(木俣はようやっとる)