ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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「外国人を取らない可能性」に中日ファンの愛という憎悪が爆発

ヤニで固めてる

タンクちぎれて

あふれ出したんだ

“愛という憎悪”

 

 THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「スモーキン・ビリー」を狂ったように聴きまくっていた中学生の頃。CDラジカセのスピーカーから鳴り響く、割れんばかりの爆音はこの世でいちばんイケてる音楽に聴こえたし、いま聴いてもこの曲の持つ圧倒的なスリリングさは色褪せることなく胸の奥まで迫ってくる。

 ただ、曲中に4回も出てくる「愛という憎悪」というフレーズは、当時の私にはまだ理解することはできなかった。“愛” と “憎悪” という相反する感情が並立する違和感。この不可思議なフレーズを、黒いモッズスーツに黒グラサンという硬派すぎる姿で激しく演奏するミッシェルはあまりにも格好よかった。よく分からないけど、カッケーからオッケー。そんな感じで、このフレーズについてそれ以上深く考えることはなかった。

 しかしいま、ようやくこのフレーズの意味がはっきりと理解できた気がする。「外国人を取らない可能性もある」。耳を塞ぎたくなるような事実が立浪監督の口から語られた途端、SNSにあふれ出した中日ファンの絶望、失望、憤怒、悲嘆……。

 それらはどれも中日ドラゴンズというチームを愛するがゆえの憎悪に他ならない。待望の立浪監督が誕生したというのに、早くもモチベーションを失いつつあるファン感情は、まさしく “愛という憎悪” に侵され始めている。

あまりにも楽観的すぎる

 発端は16日に東海ラジオで放送された特番『立浪ドラゴンズ監督就任スペシャル』での一幕だった。立浪監督が生出演でリスナーの質問にこたえるという趣旨のなかで、未だに情報のない外国人について問われた立浪は、こう答えたのだ。

「(アリエル)マルティネスが外野をやっていますが、それより長打がありそうな選手があまりいなかった。(中略)長打が打てるバッターは本当に欲しかったですが、(映像等を)見た中ではそんなにいなかった。もしかしたら取らない可能性も、今はあります」

 この発言にネット界隈は即座に反応。溜め息はやがて怒りの声へと変わり、一夜明けてもなお、大荒れの状態が続いている。いわゆる調査凍結の報道があった辺りから薄々とは勘づいていたものの、いざ監督の口から語られてしまうとさすがにキツいものがある。

 支配下の外国人を一人も取らないシーズンはケン・モッカ、郭源治の2人体制を敷いた1985年以来のことで、異例中の異例。とくに今オフは新監督就任の祝儀が期待されていただけあって、その失望度合いは半端じゃなかった。

 ならばどうするのかと言えば、石川昂弥や根尾昂、岡林勇希といった若手の有望株がまるでパワプロのように覚醒し、外野転向のアリエルがパワーヒッターとしてホームランを連発。N'sメソッドによって京田陽太、高橋周平といった中堅が爆発的に成績を伸ばし、ビシエドは40ホーマーを達成……。

 こんなファンタジーのような夢物語が叶うのを待ち望むしかないという、あまりにもシビアな現実に中日ファンは打ちのめされるしかないのか?

 新政権への期待は並々ならぬものがあるが、立浪監督は魔法使いでもなきゃ神様でもないのだ。立浪さえ監督になれば都合よく全てがうまくいくに違いないと、本気でそう思っているとしたら中日球団はあまりにも楽観的すぎる。

 『お金がない』というドラマの再放送を2〜3年に一度のペースで見ながら育った我々が、まさか  “オーバー・ザ・トラブル” の当事者になるなんて……。難儀だ。あまりにも難儀だ。無い袖は触れぬと言うのなら、何とかして資金を捻出するのが親会社としての責任だ。サカナクションの山口一郎氏が提言したように、ドラゴンズ系コンテンツのプラットフォームを作るとか、電子版をもっと強化するとか、あとはーー。ええと、大島オーナー、ちょっとイカゲーム参加してくんない?

(木俣はようやっとる)