ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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君は立浪和義を知っているか⑨人生で最も叫んだホームラン

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 老若男女、全世代に愛される稀代のスーパースター・立浪和義。では、いったい立浪の何に我々はこんなにも魅力されるのか。いったいなぜ10年以上も監督就任を待ち続けることができたのか。

 その軌跡を、あらためて紐解いてみたいと思う。

 番外編第3段となる今回は、“東郷町の大豊” ことikki氏による忘れられないあのホームランの思い出を掲載する。

第8回「3代目ミスタードラゴンズ」

怪物から打った同点3ラン

 ドラゴンズファンになって四半世紀以上、これまで何本ものホームランを体感してきた。なかでも「最も叫んだホームラン」を1本挙げるとするならば、2004年日本シリーズ第2戦の立浪和義同点3ランになる。西武・松坂大輔から打ったあの一発だ。

 この試合はテレビ中継で体感したのだが、なぜ現地で見たものより「叫んだ」のだろうか。せっかくの機会なので、17年前の記憶を手繰り寄せてみたい。三十代半ばの昔話にしばらくお付き合いいただけると幸いだ。

※ ※ ※

 その日はどこかで練習試合をこなしてから、家に帰ってきたと思う。当時の僕は名古屋市内の高校に通う野球部員。自分たちの代になってから2ヶ月が経過した頃だ。

 練習やテスト期間の合間を縫ってナゴヤドームにも足を運び、就任1年目の落合博満監督が胴上げされる姿は一塁側内野席で見届けた。“人生初の胴上げ観戦” にいたくテンションが上がり、自転車で栄の号外配布に向かったのも懐かしい。

 記念すべきシーズンにおいて、全138試合中134試合で3番打者を担ったのが立浪だ。戦力の入れ替えが頻繁に起こるなか、打順が固定されたのは立浪が唯一と言ってもいい。間違いなく、この年のドラゴンズにおいて最も重要な打者である。

我を忘れるほどの叫び

 本拠地で始まった西武との日本シリーズ。第1戦は終始ナインの動きが硬く零封負け。続く第2戦は一時逆転するも再逆転を許し、「今夜もダメか……」という重苦しい雰囲気が画面を通して伝わってきた。なにせ、相手は天下の松坂。「もう一度逆転しろ」と願うほうが難しかった。

 そんな状況で飛び出した、立浪の同点3ラン。「起死回生」「息を吹き返す」とは、このことを言うと思った。

 伏線はあった。レフトを守る井上一樹が、“抜けたらジ・エンド” の大飛球を一世一代のダイビングキャッチ。代打の大西崇之が松坂大輔から内野安打をもぎ取った。かわいい弟分がチームのために身を粉にして、リーダー・立浪にお膳立てをした。

 7回裏3点ビハインド、走者2人を置いての打席。スタンドからは「♪燃える決意は~」と応援歌が何度も繰り返される。いつもはトランペットの音が勝ってそこまで聞こえないのに、この時は歌詞がはっきりと聞こえた。みんな背番号3の快打を願っているのだ。

 すると2ボールからの3球目、立浪は甘い直球を一閃。声にならない声を乗せて、打球はあっという間にライトスタンドへ! 

 このとき僕は我を忘れて叫んだ。庭を挟んで同級生の女子の家があるけど、関係ない。「こうなってほしい」と夢想したことがそのまま形になった。松坂のボールを打ち砕いた立浪が誇らしい。叫ばずにはいられない!

 しばらく興奮状態が収まらないまま、気がついたらドラゴンズは逆転に成功し勝利を収めていた。

初めて「日本シリーズが楽しい」と思えた

 ここまで17年前の記憶を綴ったが、なぜ立浪の同点3ランが「人生で最も叫んだホームラン」なのか。今回が良い機会なので考えてみた。

 結論は、初めて「日本シリーズが楽しい」と思えたから。

 ポストシーズン特有のヒリヒリした感覚は嫌いじゃないし、むしろ好き。その感覚を肌で感じ、愛おしい気持ちが芽生えた瞬間が、あの同点3ランだった。

 1988年以前の日本シリーズは体感しておらず、99年は王貞治監督の胴上げを現地で見た苦い記憶しか残っていない。立浪のおかげで、晩秋のプロ野球がとても面白く、楽しいと気づくことができた。

 いまも定期的にあの試合の動画を観る。立浪が打った瞬間、一塁側も三塁側も満員のスタンドが総立ちになるのがたまらない。規模感は違えど、今季で近い感じがあったのは根尾昂の初ホームランだろうか。

 きっと次に日本シリーズに出る時は、根尾が山本由伸や佐々木朗希から起死回生の一発を打つ。スタンドが総立ちになって、ベンチの立浪監督が微笑む夢想まではできている。その時、「人生で最も叫んだホームラン」の記憶が塗り替えられるはずだ。

(ikki)