ちうにちを考える

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君は立浪和義を知っているか⑦渾身の力を込めて

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 老若男女、全世代に愛される稀代のスーパースター・立浪和義。では、いったい立浪の何に我々はこんなにも魅力されるのか。いったいなぜ10年以上も監督就任を待ち続けることができたのか。

 その軌跡を、あらためて紐解いてみたいと思う。

 前回に続いて今回は番外編として、k-yad氏による思い入れ文を掲載する。やはり立浪というと、日本シリーズでの “あの一打” が忘れられないというファンも多いはずだ。

第6回「最後のショートストップ」

新時代

 21世紀に入り、ドラゴンズのチーム改革は風雲急を告げた。監督として2期11年チームを率いた星野仙一が2001年限りで辞任。しかも同年オフには阪神の監督就任が発表された。1968年のドラフト会議で指名されて以降、球団の顔として君臨し続けた男が、まさかの展開でドラゴンズを後にしたのである。

 一方で、立浪自身にも大きな変化があった。大きな後ろ盾を失うとともに、命懸けで守り抜いてきたセカンドの定位置を遂に譲るときがやってきたのだ。星野政権最終年の後半戦は荒木雅博が台頭。この年からショートのレギュラーに定着した井端弘和と二遊間コンビを組むことが増えていった。

 2000年代のチームの骨格が少しずつ姿を見せる中で、背番号3が任されたのはサード。衰えとみなす声もあったが、守備の負担が大きいポジションを外れたことで、打撃に集中できる環境が整ったともいえよう。

 事実、2002年の後半戦は故障で離脱したレオ・ゴメスに代わり4番を務めると、キャリアハイの92打点を記録。円熟味を増す中、翌年の7月5日の巨人戦では、超一流打者の勲章である通算2000安打を達成。PL学園の先輩・清原和博から花束を受け取った際、スタンドからは惜しみない拍手が送られていた。

 ドラゴンズのみで2000もの安打を積み上げたのは、高木守道、谷沢健一に次ぐ3人目(当時)の快挙。“プリンス” 、“若大将” 、“チームリーダー” を経て、立浪は正真正銘の “レジェンド” になった。

 普通ならばここで一息入れたいところ。しかし大台に到達しようと、立浪に気の緩みなど一切なかった。家族、チームメイト、裏方、ファン、そして自分自身。「プロ野球選手・立浪和義」を支える全ての人々を失望させるわけにはいかないとばかりに、立浪はその打撃にさらなる磨きをかけて選手生活の晩年へと向かっていった。

渾身の力を込めて

 数多の栄光に彩られたミスタードラゴンズ。しかしながら、16年間のプロ野球生活で日本一の経験はない。そのチャンスが巡ってきたのは名球会入りから1年後。前回のリーグ優勝からは5年の月日が流れていた。

 その年は開幕から不動の「3番サード」。日々目まぐるしくスタメンが入れ替わるなか、スタメン出場した試合で打順が変わることは一度たりともなかった。特に5月と6月は2か月連続で月間MVPを受賞。まるで打ち出の小槌のごとく安打を量産した。

「とにかく長打は捨てよう」

 大胆な割り切りが好結果をもたらした。取り組んだのはバットをインサイドアウトに出すこと。打撃の原点に立ち返った小さな大打者は、来る日も来る日も理想のスイング軌道を身体に染み込ませていった。

 チームリーダーの快進撃とともに、チームの調子も急上昇。塁上を賑わす「アラ・イバ」コンビを立浪が適時打で返す形は、シーズンを通じてドラゴンズの得点パターンとなった。

「バッティングが楽しくてたまらない2か月」、「プロ野球に入って、もっとも充実した日々だったと言えるだろう」と著書『負けん気』の中で当時を振り返っている。そこには強い打球を追い求めて調子を崩した姿はどこにもない。立浪の打撃は17年目にしてより一層研ぎ澄まされていった。

 充実したペナントレースを終え、立浪にとって3度目の日本シリーズがやってきた。相手はプレーオフを勝ち上がってきた西武。ところが初戦は前回のシリーズを見ているかのような完敗に終わる。第2戦の先発はあの松坂大輔だ。

 「今年もダメか……」。

 完封負けの前夜とは一転、この日はシーソーゲーム。それでもリードを許す苦しい展開となっている。本拠地2連敗がちらつき始めた7回裏の1死一、三塁で背番号3は打席に入った。

 初球、2球目とボールが続いた後の3球目。ポイントの位置を微調整し、狙うは松坂の剛速球のみ。コンパクトなスイングは逆球となった内角高めのストレートを完璧に捉えた。スタンドインを確信して吠える立浪と、ペロッと舌を出して立ち尽くす松坂。美しくも残酷なコントラストがそこにはあった。

特別な感情

 チームを救う同点弾は、この先も何十年と語り継がれる伝説の一打となった。これは単なるホームランではない。“ドラゴンズ=立浪” 、日本中の野球ファンにその存在が特別であることを知らしめたのだ。

 次打者のアレックス・オチョアが打席に入っても、ナゴヤドームは喧騒に包まれている。これまで球団が歩んできた道のりに様々な思いを巡らせてきたファンの感情は、渾身の一振りとともに解き放たれていた。

「入った球団に最後までいれるのが一番幸せじゃないですか」

 どこまでも一途な思いを貫いたからこそ、立浪は誰よりも愛され、信頼されるようになった。純血のスーパースターはファンにとって一蓮托生の存在。勝利の美酒を味わった時も、悔し涙にくれた時も、背番号3は常にドラゴンズとともにあった。

 仮にあの時松坂を攻略できなかったとしても、抱く気持ちは皆同じだったにちがいない。

「立浪でダメなら仕方ない」

(k-yad)