ちうにちを考える

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君は立浪和義を知っているか⑥最後のショートストップ

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 老若男女、全世代に愛される稀代のスーパースター・立浪和義。では、いったい立浪の何に我々はこんなにも魅力されるのか。いったいなぜ10年以上も監督就任を待ち続けることができたのか。

 その軌跡を、あらためて紐解いてみたいと思う。

 今回は番外編としてマイナー記録探偵のyuya氏に「ある日の1試合」にフォーカスした内容を書いてもらった。

第5回「強固なプライドでセカンドを堅守」

まるで2021年のような試合

2001年6月14日 ●0-9阪神(13回戦)

 倉敷からの大阪ドーム2連戦という変則的な阪神との3連戦3戦目は、見事に手も足も出ないまま終わってしまい、3タテを許す結果となった。先週、野口が負け無しの8連勝を飾り最大貯金6にたどり着いたものの、翌日からこれで6連敗。チームの勝率は5割に舞い戻ってしまった。

 先発のバンチも制球が定まらず、10安打7四死球の大乱調。3回に4失点、6回に3失点と2度のビッグイニングを作られてしまってはゲームの軌道修正も難しい。昨季、来日1年目で最多勝を獲得した頼もしい姿は、もはや見る影すら無かった。

  結果はどうでもいい。特筆すべきはその内容にあった。

 相手の先発が右のカーライルか、はたまた左の井川慶か。どちらとも読みきれない中で星野監督は7番に前田幸長を偵察メンバーとして入れた。正解は左の井川。1回の裏、守備に就いたのは前日に見事なタイムリーツーベースを放っている左打者の井上一樹ではなく、右の荒木雅博だった。

 荒木は5日の巨人戦で先制2ランを放っているものの、それからヒットは生まれていない。普段上位打線で起用される選手を7番に置くことでどれだけの効果が期待できただろうか。偵察要員を使うことは重要な作戦ではあるが、誰を起用するかでその選手本来の役割ができなくなってしまっては意味がない。結局、荒木は2打席で代打を送られてこの試合を途中退場している。

 毎回のように井川からランナーを出すものの、ここぞという所で一本が出ない展開。7回、中村武志のヒットと代打・神野純一のツーベースでようやく2アウト二、三塁のチャンスを作るが、井端弘和が期待に応えられず凡退。8回にも立浪和義とゴメスが連続出塁でチャンスを拡大するも山﨑武司、ティモンズがブレーキとなり阪神に一矢報いることすらできなかった。

 安打は放つものの得点圏での一本が出ない。たとえそれが伸び盛りの若手左腕相手としても限度はある。と、言いつつもそれは20年後の'21年も同じような展開だ。きっと20年前にブログを執筆していたら……この日の貧打を嘆いていたかもしれないが、個人的にはそれよりもスルーできない重要な出来事があった。

最後のショートストップ

  7回の裏の守備でそれは起こった。正津英志がマウンドに上り投球練習を行うその後ろで、セカンドを守っていた立浪がショートに入った。前年にも3試合、4年ぶりのショートの守備に就いているが守備機会は1度だけ。この試合では2イニング、計3回の守備機会を無難にこなし試合を完了させた。

 そして'09年に引退するまでに、結果的にこれが公式戦での最後のショート出場となった。

 高校時代に名を馳せ、プロのスタートを踏んだポジション。当時レギュラーの宇野勝をコンバートしてでも使いたいと思わせたその守備能力とは、一体どれほどのものだったのか。31歳の立浪に同じレベルを求めるのは酷ではあるが、これが最後だと分かっていれば、きちんと目に焼き付けておけば良かったと今さらながら悔やんでいる。

 試合展開もあるが、立浪はこの時どういった心境で守備に就いていたのだろうか。なぜ時の監督、星野仙一は立浪をショートに置いたのか。そしてこれが最後のショートでの出場ということを20年経った今、覚えているのだろうか。もし本人に会えるのであれば、このことを聞いてみたい気持ちでいっぱいだ。

 大敗試合の、何気ない風景。されど歴史的に見れば大きな意味を持つ出来事だといえよう。そんな立浪の “最後のショートストップ” についておさらいしてみた。

(yuya)