ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

3度目のサプライズ

f:id:chunichi-wo-kangaeru:20211103212350p:plain

「コーチに就任し “まさか” との思いです。立浪監督から連絡を頂き、すぐに『ありがとうございます』と返事をさせていただきました」

 本人も驚いたくらいだから、ファンだって当然驚いた。まさかあの中村ノリが帰ってくるなんてーー。

 思えばノリは、いつだってサプライズな存在だった。忘れもしない14年前、2007年2月11日の夜。『報道ステーション』のキャンプ情報を何気なく眺めていたら、とんでもないニュースが飛び込んできた。「中日が中村紀洋を育成選手で獲得へ」。意味がわからなかった。何かの間違いかと思った。はっきり言って、「頼むから来るな、やめてくれ」という思いだった。

 当時をリアルタイムで体感していないと、この感覚は掴みにくいかも知れない。かつてのパ・リーグ二冠王が安値で手に入るというのに、なぜ「来るな」なのか。だが、あの時のファンは一様に強烈な拒否反応を示していたと記憶している。

 理由のひとつが、森野将彦の存在だ。前年に頑張ってサードのポジションを奪い、今季はいよいよ勝負の年。だがノリが来てしまえば、立場はまた危うくなる。地獄の落合ノックを耐え、立浪和義の壁を超えたというのに、今度はノリかよ……。そんな同情心が「森野かわいそう! ノリ来るな!」という安易な反発心となって表れたのだ。

 そして決定的だったのが、あの頃球界全体が抱いていた中村紀洋という選手そのものへの嫌悪感だ。

 金に汚く、わがまま気のままに振る舞い、さんざん日本球界に迷惑をかけた挙句、メジャー挑戦に失敗してのこのこ戻ってきた哀れなヒール。

 こんなイメージがあまりに強く定着し過ぎたせいで、他球団がいっさい門戸をシャットアウトし、中日だけが救いの手を差しのべる結果となった。

 今にして思えばほとんどイジメにも似た仕打ちだったように思えるが、当時は今の中田翔が可愛く見えるレベルで、ノリは全方位的な嫌われ者だったのだ。

「だいぶサビついてきたな」

 派手な金髪と無精髭を剃り落とし、丸坊主になったノリの入団テストが始まったのが2月15日のことだった。計136スイング中38本が柵を越え、うち4本が場外弾という圧巻の内容で格の違いを見せつけた。第3クール5日目の19日には落合監督によるノックも初体験した。揺さぶりに強打を交えて13本。たかが13本だが、ノリの足はパンパンに張っていた。そして終わり際、落合がポツリとつぶやいた。

「だいぶサビついてきたな。今までラクしてきてるもんな。近鉄やオリックスじゃ誰も(文句を)言ってくんなかったんだろうな」

 過去の栄光もすべて剥ぎ取られ、がむしゃらに野球に取り組んだ10日間。そんなノリにようやく “合格” の判定が出たのは、キャンプ打ち上げ間際の25日のことだった。とはいえテスト生から育成選手に格上げになったに過ぎず、与えられた背番号は3桁の205番、年俸は400万円という破格の金額だった。そこからオープン戦を経て、3月23日に支配下登録を果たしたが、背番号は「後がない」ことを表す99番、年俸は出来高なしの600万円ポッキリという、かつてのスターとは思えぬ特別待遇一切なしのリスタートとなった。

 そんな風にしてドラゴンズの一員になり、全盛期ほどではないにせよさすがのバッティングで強力打線の一翼を担い、日本シリーズではMVPに輝く大活躍で53年ぶりの日本一に貢献した……という話はあまりにも有名なので詳しくは割愛する。

 ノリがサプライズを仕掛けたのは、その1年半後、2008年オフのことだった。秋季キャンプ中の11月中旬、ノリがFA権の行使を表明したのだ。

3度目のサプライズ

 入団の経緯からして、誰もが行使は無いと思っていた。だが、常に既定路線を外れて走るのがノリ流だ。それはまるで “拾い主” である落合博満の現役時代を彷彿とさせるような、唯我独尊の行動にも映った。

「自分ももう35歳。権利を使わず終わるより、使った上で終わりたいと思った。ボクにもここまで一線でやってきたプライドはある」

 言いたいことはわかる。ただ、4月に権利を取得した際には、はっきりと自らの口でこう断言していたのだ。「FA? 興味がない。取る球団も無いでしょう。ボクも(再取得を)知らんかったくらい。まあ、そんなことより来年ドラゴンズが契約してくれなかったらどうしよう、という感じです」と。

 この発言を受けて、中スポも「生涯竜」「ノリだけは心配いらない」「義理人情の男」と散々煽てていただけに、完全に想定外のまさかの行使となった。

 そして11月29日、ファン感謝デーに参加した後、ノリは野村克也率いる東北楽天へ移籍する意思を表明した。決め手になったのは契約年数。「骨を埋めたい」と主張するノリに対してあくまで単年契約を譲らなかった中日に対し、強打者を欲する楽天は躊躇なく複数年契約を提示したという。

 契約書の文言だけが誠意の証明となる世界だ。「必要とされる所に行くのがベスト。残り少ない野球人生でもう一度挑戦したいと思った」と言い残し、ノリはドラゴンズに別れを告げたのであった。

 入団もサプライズなら、退団もサプライズ。最後までサプライズ尽くしだったノリの生き様は、まるで必要とされる場所を求めて彷徨い続ける流浪の民のようでもある。

 そしてこのたび、コーチ就任という3度目のサプライズで、ノリは再びドラゴンズのユニフォームを着る機会を得た。ただし、今回の主役はノリ自身ではない。

「石川君を育ててほしい」

 立浪監督から直々に要請された若き4番候補の育成。この石川昂弥を “主役” に押し上げる事こそが、今回のノリの使命となる。

 14年前は「来るな!」という感情で一杯だったが、今は「早く来てくれ!」と待ち遠しくてたまらない。早く、石川昂をあんたみたいな4番打者に育ててくれよ、期待してるよノリさん!

(木俣はようやっとる)