「なんで中日ファンはそんなに立浪が好きなの?」
先日、家内がこんな事を聞いてきた。結婚して間もなく10年も経つというのに一向に野球に関心を示さず、いまだにファウルとホームランの違いを理解していないウチの家内だが、「中日・立浪監督」にファンが熱狂しているのをSNSや報道の様子からなんとなく察したようだった。
で、あらためて問われると案外これと言った答えが思いつかず、「サッカー界の三浦カズみたいなもんだよ」と、我ながらあやふやな回答でその場を凌いだのである。
落合博満の退任以後、監督が代わるたびに立浪の名前は真っ先に取り沙汰されてきたし、ファンもそれを待ち望んできた。老若男女、全世代に愛される稀代のスーパースター。では、いったい立浪の何に我々はこんなにも魅力されるのか。いったいなぜ10年以上もこの日を待ち続けることができたのか。
知り尽くしているようで、意外と知らない。立浪和義という男が歩んだ軌跡を、主にwikipedia等には載っていないマイナーな事柄から紐解いてみたいと思う。題して「君は立浪和義を知っているか」。
物語は、1988年からスタートする。
入寮日、志願の自主トレ
34年前、入団会見の席での一幕だ。公称173センチ、野球選手としては小さな体型の立浪は、学ランを着るとますます初々しく見える。その横で、ど迫力の星野仙一は言い切った。
「男の大小っていうのはね、体が大きいとか小さいじゃなく、肝っ玉で決まると僕は思っています」
PL学園では3年時に主将を務め、あのKKコンビさえも成し得なかった春夏連覇を達成。本人がプロ入りを意識したのは意外にも3年春になってからだと言うが、その評価は「ドラフト下位クラス」「ドラ2クラス」「ドラ1もあるぞ」と日を追うごとに高まっていった。
当日、立浪を指名したのは兼ねてから高評価を与えていた南海ホークスと、直前になって即戦力投手から高校生野手へと急遽方針を転換したドラゴンズの2球団だった。くじ引きの結果、当たりを引いたのは青年監督・星野の剛腕だった。「ドラゴンズ立浪」誕生の瞬間である。
そこから2ヶ月後。束の間のオフシーズンも終わり、いよいよ入寮の日がやってきた。大阪駅のプラットホームで母親の同行を断り、おろしたてのスーツに身を包んで単身名古屋へと旅立った、というエピソードは色々なところで書いているので「またか」と思われたら恐縮だが、一人の若者がプロの門を叩く、その第一歩を描写した個人的に大好きなシーンなのでご容赦いただきたい。
さて、この話には続きがある。名古屋に到着し、中村区の合宿所に到着した立浪は、旅の疲れも癒えぬままトレーニングウェアに着替え、誰に言われるでもなく志願して自主トレをおこなったというのだ。本来の新人合同練習は翌日に始まる予定だったが、「早く一軍に入りたいと思っているんです。焦らずじっくりですが、体を鍛えたい」と、年末から使用されていなかった屋内練習場の扉を18歳のルーキーが開けさせたのである。
こうなると、他のルーキー達もくつろいでいるわけにはいかん、とばかりに続々と部屋を飛び出してきた。立浪に導かれるように始まった異例の入寮日練習。ちなみにこれ以前から星野監督は「あいつは将来リーダーになる」と立浪の素質を早くも見抜いたような発言をしていたそうだ。
33年後に竜の監督になる男は、プロ初日からその素質を余すところなく発揮していたのだ。
光GENJI級にモテた立浪くん
ところで立浪といえば、高校時代からその甘いルックスで女性人気を博したことでも知られる。この入寮日も、常に若いギャル達に取り囲まれていた。
まず名古屋駅に降り立つとプラットホームに10人、合宿所には30人が “立浪くん” を一目見ようと押し寄せ、さらに屋内練習場でも女子高生などギャル達がその一挙手一投足に熱い視線を送った。少し歩けばその両手は花束やクッキーのプレゼントで一杯になるほどだったという。
だいぶ時間は経過するが、この年の秋にはさらに人気が加熱していた。優勝目前の9月23日。遠征への移動のために名古屋駅に到着したドラゴンズ御一行を待っていたのは、なんと300人を超えるギャルの群れだった。
「光GENJIかなんか芸能人が来てるんだろう」と片貝スコアラーはうそぶいたが、そのお目当ては立浪、上原晃の両イケメン新人だった。この二人が少し動くだけでギャル達が一斉に階段をかけあがり、駅員がそれを制止する。さながらアイドルの出待ち状態となり、二人はキャーキャー騒ぎながら「写ルンです」を手にした大群に取り囲まれる事態となった。
だが、当の立浪は「ボク、ああやって騒がれるのは好きじゃない」とつれない感想。一方、「みんな二人が目当てなのよ。ボクなんてもうダメなんだから」とスねたのは郭源治。ちなみにこの記事の見出しがおもしろい。
『立浪ク〜ン、上原ク〜ン 落合、宇野には目もくれず』
余計なお世話だ、とおじさん達は思ったことだろう。(つづく)
【参考資料】
立浪和義『負けん気』文芸社,2010
『中日スポーツ』