ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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安心の中

△1-1ヤクルト(24回戦)

 12球団でどこよりも早く本拠地最終戦となった今日の試合も投手戦となり、17個目の引き分けを記録した。1点が遠い野球はついに変わることないままだった。

 昨年も同じように得点力不足が叫ばれたが、その120試合よりも多く試合を消化していながらも得点は昨年を下回る。今の得点を30%増やしてもまだリーグ最下位付近にとどまるという現実は重く受け止めなければならない。

 「点を取られなければ負けない」というのは、常に優勝を狙えるチームが目指すべき合言葉だ。2019年はチーム打率がリーグ1位でありながらも、得点数はリーグ5位。そこから打率が.025も下がれば得点する機会すら与えられないことは明白だ。

選手を守った3年間

 何か淡々と終わった試合に乗っかるように、本拠地最終戦のセレモニーも淡々と終わったようにも思える。3年の任期を満了し、最後の白いユニフォーム姿の与田監督が何を語るか興味を持って耳を傾けていたが、笑うことも泣くこともなく、大きな感情の起伏もないまま挨拶を終えた。

 思えばシーズン中、選手が活躍したときはガッツポーズをしたり、手を叩いたりもしていたが、逆に投手陣が崩れたり、守備や走塁でまずいプレーがあったりした時は無表情を貫いた。2019年の「審判よそ見事件」に見たような、気迫あふれる表情はその後、これといって見当たらなかったようにも感じる。

 そしてマスコミ談話の中でも3年間、選手をやり玉にあげて批判するというシーンは見られなかった。よく言えば、一貫して選手を守り抜いた訳だが、優しさの中にあるべき冷酷さ、冷徹さというものは最後まで感じ取れなかった。歴代の中で最も優しい監督だったのではないだろうか。

 そして、選手にも同じように他人への優しさを求めていたようにも思える。細かく調べていないので正確ではないが、与田監督下での3年間、一軍の試合で退場処分になったのは濱田達郎の危険球退場と、選手交代時に「浦和レッズ」と叫んだ観客のみではないだろうか。(二軍では今季遠藤一星が審判への侮辱行為で退場処分となっているが)

 他球団の選手とでも仲睦まじくなった昨今ではあるが、両チーム入り乱れて……というのは中日でも久しく見ていないようにも感じる。

 アマチュア野球や他競技では監督や指導者のパワハラという報道が未だに出てくる中、プロ野球では現役選手、コーチ、監督、そしてOB全ての人が「今はそういう時代ではない」と口を揃えるあたり、プロ野球界全体で体育会系のパワハラ体質からの脱却を図っていこうとする意識があるのは明白。であるからこそ、率先して与田監督は現場の責任者として、負の表情を出さないことによって選手を守る姿勢を取り続けていたのだと推測する。

自分で自分の痛みを感じられるように

 与田監督だって怒りに任せてあれこれ言いたいことだってあっただろう。不機嫌な表情をして負け戦を眺めたかった試合だってあっただろう。でも、それをしなかった。全ては選手を守るための行動だったのだと思う。一方で、それは与田監督自身もそこに逃げていたことだってあったかもしれない。

 願うべきは、選手たちが守られているということに気づいているか、気づいていなければいち早く気づけるかということだ。昨日の主役、山井大介は「言いたいことをズバズバ言う先輩」「どうしてこんなに説教をするのか」という存在であり、藤井淳志は二軍選手への引退挨拶で「自分のできなかったことを他人のせいにしないで」と諭していた。

 他人から耳の痛い言葉が聞こえづらくなり、誰もが安心の中にいる今の時代だからこそ、自分が自分の醜い部分をしっかりと把握する必要がある。そう気付かされた試合でもあった。

(yuya)