ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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呪縛を解き放て

●1-2DeNA(23回戦)

 多くの日本人にとって、本日10月10日といえば1964年の東京五輪の開会式。戦後最大の国家イベントを、わざわざこの日に設定したのは “晴れの特異日” だったためという説もあるほどだ。事実、あれから丁度57年後の関東地方は見事なまでの秋晴れ。ある種のジンクスなのかもしれないが、迷信を信じてみるのも悪くない。

記念すべき日

 一方ドラゴンズにとっても10月10日は「ハレ」の日であるのは間違いない。何を隠そう、2006年のリーグ優勝を達成したその日だからだ。1994年の10.8決戦と1996年のメークドラマの完結において、ドラゴンズは常に引き立て役だった。しかも舞台はいずれもナゴヤ球場。だが当時の本拠地最終戦から10年後、主役の座は完全に入れ替わった。

 福留孝介のバットが張り詰めた空気を切り裂くと、続くタイロン・ウッズの放物線は青く染まったレフトスタンドへ。その後も打線の勢いが止むことなく、一気呵成に巨人投手陣に襲い掛かった。トランペットや太鼓の音がなくなっても関係ない。今までの呪縛を解き放つためのエネルギーがチームには宿っていた。

 迎えた胴上げ。宙に舞っているのは落合博満だ。ドラゴンズに栄光をもたらした稀代の大打者は、1990年代にあった2度の大一番を巨人の一員として過ごしている。しかし落合は名古屋に戻ってきた。そしてドラゴンズの優勝監督として涙に暮れている。それだけで十分だった。

夢のあと

 あれから15年。兵どもの殆どが戦場を後にしている。そしてドラゴンズの前にあるのは単調な「ケ」。昨日のヤクルト対阪神のような天王山はない。コロナ禍があろうとなかろうと、ビールかけは夢の話。Aクラス入りすら絶望的な状況下での試合がずっと続いている。

 本日のドラゴンズもまさに日常そのものだった。先発・小笠原慎之介が緩い変化球を交えながらDeNA打線を手玉に取ると、打線も2回表に先制点を挙げる。ここまでは理想的な流れ。ところが次の1点が中々入らない。すると6回裏、好投を続けていた小笠原がネフタリ・ソトに適時打を浴びて同点。最後は頼みのライデル・マルティネスが決勝点を奪われた。

 ただ、2点目を取るチャンスがなかったわけではない。9回表には先頭打者を出し、桂依央利の犠打で二進させると、迎えるは代打・福留。15年前の主役にチームの命運を委ねたが結果はサードゴロ。続く堂上直倫は三遊間を抜く安打で続くも、現在の「背番号1」である京田陽太の打球は弱々しく三塁手のグラブに吸い込まれた。

明日をつかみとる

 この日に限れば、先発投手は役割を果たしたといえるのだろうか。6回を投げて1失点。85という球数を考慮すると、まだまだ余力を残していたといえよう。加えてクオリティースタートも達成。内容的には一見申し分ないように見える。しかし降板直前に許した1失点は余計な失点のように感じられた。

 勿論DeNA打線の中軸を相手に無失点で終えることは難しい。しかも決め球が甘くなり始めていたのは明白だったが、これは乗り越えるべき壁。今シーズン初の規定投球回到達も現実味を帯びている背番号11には「よく頑張った」で終わってほしくないのだ。そして0で切り抜けるに加えて、7回表無死走者なしで代打を送られない投手になってもらわないといけない。

 そうすれば、勝ち星も転がり込んできた可能性だってあったはず。もう1イニング任せても大丈夫な存在になれるか否か、小笠原のプロ野球人生にとっての大きな分岐点が正に今訪れている。

 明日は待ちに待ったドラフト会議。ドラゴンズは「あと1点」をもぎ取るべく強打者の指名が噂されている。本日の試合も2点目が入っていれば、楽に勝てた試合だった。一方で1点を守り切ることができなかったのもまた事実。球団がどのような選択をするのか。その答えが出るのは5年、10年先のこと。その頃まで過去の栄光の呪縛に囚われていないことを祈るばかりだ。

(k-yad)