ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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10・8

●3-9 DeNA(21回戦)

 ある一定の年代以上の野球好きに「10・8」という数字を出せば必ず連想する試合がある。1994年の中日ー巨人戦。両チーム1試合を残した状況で、勝ち負けが全く同じ状況で勝ったチームが優勝するという最終戦だ。

 日本で初めて200安打を記録したイチローもナゴヤ球場の内野席に訪れた試合は「国民的行事」と呼ばれ、あれから27年経った今でもテレビやスポーツメディアなどで度々フィーチャーされている他、近年ではプロ野球OBが自らのYoutubeチャンネルを立ち上げて当時を回顧している。

 結果は6-3で巨人が勝利。先発の槙原寛己から斎藤雅樹、桑田真澄と当時の先発3本柱をリレーした決死の継投だった。対する中日もエースの今中慎二を立てたものの、この年最多勝(19勝)を獲得した山本昌広、最優秀防御率(2.45)を獲得した郭源治はベンチ入りしていながらも起用することなく終わってしまった。

95年以降の「10・8」は4勝3敗

 そんな「10・8」を調べていくと、中日ドラゴンズにとって「10・8」を戦うのは翌1995年以降では7試合あり、通算4勝3敗となっている。2000年には岩瀬仁紀がキャリア唯一の先発で勝利投手になった試合の日も実は10月8日なのである。
 最後に戦ったのは2011年の巨人戦以来10年ぶり。この時は13連戦の真っ只中で、澤村拓一に1安打に抑えられて完封負けを喫し、連勝が「5」でストップした試合だった。その時以来の試合である。

 

 時を経て今日の先発は笠原祥太郎。背番号47を背負うサウスポーだが、同じサウスポーで背番号47を背負った野口茂樹もまた「10・8」に縁のある投手だった。

 野口は1995年、1996年、1998年と3試合連続(1997年は試合なし)でこの日に先発マウンドに立っており、1998年は1失点完投勝利を記録している。この年に就任した宮田征典投手コーチの指導の下で花開き、最優秀防御率(2.34)を獲得したのだった。

 対して今日の笠原は相変わらず制球に難がありハラハラのピッチング。宮田コーチの指導前の野口はスピードボールが武器のノーコンだったが、笠原の場合はストレートに球速が追いついてこないため、たとえ低めを丹念についていても1球の失投が命取りになってしまう。

 今年は柳裕也、小笠原慎之介、松葉貴大、福谷浩司とチェンジアップを効果的に使う先発投手が多いが、いずれも与四死球率の低さがあってこそだ。笠原の与四死球率は今日の降板後でも18.1%と、他の先発投手陣に比べると圧倒的に多い。ここを改善しない限りは、勝ちを手にすることはおろか、長いイニングを投げることも難しいだろう。

7人で95%

 今日133試合を終了した時点で先発投手は780.1イニングを投げたが、内訳を見てみると柳、大野雄大、小笠原、福谷、勝野昌慶、松葉、ロドリゲスの7人で740イニングを稼いでいる。全体の95%がこの7人によって消化されており、今年の先発投手陣が安定して稼働を続けていた証拠でもある。

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 残りの5%が梅津晃大、岡野祐一郎、そして今日先発の笠原の3人で、福谷の骨折がなければ笠原のチャンスが巡ってきていたかどうかも分からない。先日の引退会見で、山井大介が「1度くらいはチャンスがあるやろと思ってたけれど、20年目でプロの厳しさを味わった」というくらい、今季は先発ローテーション投手がそれぞれの役割を果たしてきた。

 明日はロドリゲス、日曜日は小笠原が見える中で、来週以降の残り8試合をどう振り分けるか。恐らく規定投球回到達が見える小笠原はあと2回、最多勝がかかる柳はあと3回チャンスがあると思われる。本日大野が登録を抹消されたため、代わりの残り2試合を誰が務めるか、そして来年以降にどう繋いていくか。非常に楽しみである。

 ここまで来たら高橋宏斗のデビュー、見てみたいよね。

(yuya)

 

【告知】

中日新聞webにて連載中『発掘!ドラゴンズB面史』、今回は1996年の記憶にも記録にも残らないマイナーなB面ネタを取り上げました。

星野監督が5年ぶりに復帰し、前年とは打って変わって大躍進を見せたこのシーズン。宣銅烈の加入、山崎武司、大豊泰昭による恐怖の下位打線、野口茂樹の台頭など話題に尽きなかったこのシーズンは、今なおファンの間でも人気が高いように感じます。

懐かしい記憶とマニアックな画像と共にご一読いただけると幸いです。

(木俣はようやっとる)

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