ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

よかったシーン

●0-3ヤクルト(19回戦)

 2時間26分。映画としては少し長めの上映時間だが、つまらない映画をダラダラと観ることほど退屈なものはない。抑揚のない展開。ハラハラするシーンも、予想外のことも何ひとつ起こらず、淡々とエンドロールを迎える。今季のドラゴンズは評価の低い駄作を延々と垂れ流す、マニア向けの名画座のような趣さえある。

 ただ一方で、こんな至言もある。

「どんなつまらない映画でも、よかったシーンが一個でもあれば “いい作品だった” と呼べる」

 誰が言ったかは失念したが、聞いたときは「なるほど」と膝を打ったものだ。年に何十本と映画を観ていても、おもしろい作品に出会える機会はそう多くはない。多少なりとも余韻に浸れるのはせいぜい十本に一本あるかどうか。年間ベスト級の作品ともなれば、その確率はさらに低くなる。

 ただ、だからと言っていちいち「つまんなかった」と切り捨てていたら映画鑑賞自体が楽しい趣味ではなくなってしまう。2時間の中の、わずか一瞬でも心を動かすシーンがあればそれでいいじゃないか。少なくとも時間の無駄なんてことは無くなるはずだ、というポジティブ思考。これは野球観戦においても大いに役立つ考え方だと思う。

論ずるに値しない敗戦のなかで

 どんなに強いチームでも4割程度は負けるのがペナントレースだ。そうなると、負けた日にどれだけ心穏やかに夜を過ごせるかがファンにとって重要なライフハックとなってくる。「あそこで打っとりゃ勝てたんだわ!」「なんであそこで代打を出さんのだ!」と一晩中イライラしながら当たり散らすのも一興ではあるが、昭和の頑固オヤジでもあるまいし、あまりスマートとは言えない。そこで上述の思考法である。

「どんなつまらない試合でも、よかったシーンが一個でもあれば “いい試合だった” と呼べる」

 さて、今夜の試合。論ずるに値しないレベルのしょっぱい敗戦のなかで、“よかったシーン” はあったのかどうか。正直いって試合終盤まで今日はいったい何を書けばいいのかと頭を抱えていたのだが、どんな時でも9イニングもやれば一個は見どころが出てくるものだ。

 8回裏、すでに敗色ムードが漂うなかでマウンドに現れたのは背番号28、森博人だった。

村上宗隆にも強気の真っ向勝負

 今日を含めて今季4度の登板は全てビハインドでのリリーフ。いわゆる敗戦処理の立場ながら、投げるたびに存在感を増している。なんといっても向こうッ気が強いのがいい。初登板の広島戦(15日)こそ先頭打者を歩かせたものの、そこからは無四球が続いている。

 若い投手は打たれるのを怖がってカウントを悪くし、傷口を広げるのがお決まりのKOパターンだが、森の場合はどんどんストライクで勝負できるから自然と結果も伴ってくる。圧巻だったのは前回登板のDeNA戦(20日)。いきなり連打を浴びて無死一、二塁のピンチを背負いながら、オースティンに対して怯むことなく攻め続け、9球に及ぶ勝負の末にど真ん中のストレートで空振りに斬って取ったのだ。

 よく「ピンチで動揺するクセさえ治れば一線級」なんて評される投手がいるが、大抵そうした気質は改善することなく生涯にわたり付きまとうものだ。それが克服できずにユニフォームを脱いだ投手がどれだけいたことか。その点デビュー初っ端から強気の投球ができる森は、それだけでもプロでやっていく素質があると言えるのではないだろうか。

 今夜の対戦相手は強力ヤクルト打線のクリーンアップ。山田哲人にいきなりヒットを許して無死一塁。打席には “歴代最強21歳” の村上宗隆である。並のルーキーならまともにストライクが投げられなくなりそうな局面だが、やはり森は強かった。全球ストレートの真っ向勝負。最後は外角高めに浮かび上がるような渾身の一球に、若き主砲のバットが空を切った。

 試合全体でいえば本当に退屈な内容だったが、この森の投球が見られただけでも価値はあったと言えるだろう。優勝に向かって一致団結するヤクルトナインをよそに、秋風吹くドラゴンズはこんな感じで日々を楽しむしかないのである。

(木俣はようやっとる)