ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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仁王立ちをもう一度

●1-5巨人(20回戦)

 今年も夏が終わろうとしている。智辯対決となった夏の甲子園の決勝は、智辯和歌山が深紅の大優勝旗を手にした。感染症や長雨で苦労の絶えない大会となったが、地方大会を含む全ての選手・関係者には「お疲れ様でした」と伝えたい。

冷房の設定は19℃・強風

 天下分け目の大一番の裏で行われていたのがプロ野球。真夏の暑さが残る名古屋の屋外とは対照的に、エアコンの効いたドーム球場の中は終始お寒い試合内容だった。

 ドラゴンズ打線は序盤から巨人の先発・高橋優貴の攻略に四苦八苦。凡打とフラストレーションばかりが溜まる展開となってしまう。

 先発・小笠原慎之介は初回の満塁のピンチを何とか凌いだものの、3回表に吉川尚輝の犠飛で先制されると次の回も2失点。試合の主導権をあっさりと握られてしまった。

 対する攻撃陣は、5回裏に3つの四球で1死満塁の好機が転がり込んだが京田陽太と福田永将が相次いで凡退。何年にもわたって見慣れた光景だっただけに、その後の展開が予想できたことはいうまでもない。3番手で登板した田島慎二が決定的なダメ押し点を許し、ジ・エンド。

 何とか一矢を報いたものの、得点したのは大勢が決した後のことだった。不振を極めていた高橋周平が適時打を放ったが、巨人にとっては痛くもかゆくもない失点。「あと一本が出ない」。長年の宿題を今年も夏休み中に片付けることができずにいる。

頼れるサウスポーが戻ってきた

 この試合の数少ない明るい材料は何といっても2番手・岡田俊哉の好投に尽きる。先頭の大城卓三をファーストゴロに打ち取ると、待っていたのは廣岡大志との「智辯対決」。初球のスライダーはボールになったが、2球目から3球連続で内角へのストレートを続けて結果はショートゴロ。1球たりとも甘いコースに投げなかった和歌山代表・岡田の貫録勝ちだった。

 最後は前の打席で3点目をもたらす三塁打を放った松原聖弥を三振に仕留めて一丁上がり。決め球に用いたのは、幾度となく修羅場を潜り抜けてきた伝家の宝刀・スライダーだった。今シーズンは二軍暮らしが続き、1イニングを投げ切ったのは、五輪中断後の一軍再昇格後初めてのこと。わずか11球の出来事だったが、かつての実力者にとっては復活に向けて大きなきっかけになったに違いない。

古人(いにしえびと)には早すぎる

 甲子園のベンチで名将・高嶋仁監督にお叱りを受けていた高校生も12月で早30歳。若手の突き上げもあり、昨年の開幕時にクローザーを務めていたことは遠い過去になろうとしている。とはいえ、2017年のWBCで日の丸を背負った左腕がこのまま引き下がるわけにはいかない。血行障害を抱えながらも、12年目の左腕は現在の立ち位置から這い上がる覚悟はできているはずだ。

 細身のサウスポーは残りの現役生活でドラゴンズに日本一をもたらすとともに、偉大な野球人・高嶋仁の存在を多くの方に伝える重責を担っている。本日の全国制覇で今後、智辯和歌山に対する世間の関心が強くなることは間違いない。だが、関心の的となるのは現在チームを率いる中谷仁監督であり、グラウンドで躍動する選手たちだ。そして時が経つにつれて、かつての栄光は益々遠く離れていく。

 母校が新たな名将の下で甲子園を制することはあっても、恩師がベンチ前で仁王立ちをすることはもうない。しかし岡田はマウンドに君臨し続けるに違いない。いや、君臨し続けなければならない。バンテリンドームのマウンドで背番号21が躍動し続ける限り、灯が消えることはないのだから。

(k-yad)