ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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三本の矢+

●2-4巨人(17回戦)

 東京ドームの脇には鎮魂の碑が設けられている。先の大戦で戦死された野球人を慰霊するために建てられたものだ。戦争がなければ球界はいかなる発展を遂げたのだろうかと思いを馳せるとともに、改めて哀悼の意を表したい。

「静観」というプレッシャー

 日本列島は連日のように雨模様。夏の甲子園大会も順延が続いた。一方のドラゴンズはどうか。ペナントレース再開後の2試合は相次いで完敗。しかも試合会場は東京ドームのため、第3戦は当然のようにやってくる。

 「後楽園球場だったら良かったのに…」。

 練習がなくなることを喜ぶ運動部員のように雨乞いをする自分自身があまりに情けない。仮に妄想したところで屋根が開くことはないのだから。気を晴らすには良いゲームをして、勝利を収めることが結局のところ一番のようだ。

 しかし現実はあまりにも非情だった。先発・小笠原慎之介が立ち上がり早々に坂本勇人に先制アーチを許してしまう。ソロ本塁打とは言え、得点力不足に悩まされているドラゴンズにとってはあまりに重たい1点。そして3回裏の巨人の攻撃は試合の行方を決定づけた。

 1死から1番・松原聖弥が二塁打で出塁。走者を得点圏に置き、前の打席で本塁打を放っている2番・坂本だったが、上手くタイミングを外してレフトフライに打ち取った。ただ、まだピンチを脱したわけではない。巨人には3番・丸佳浩、4番・岡本和真が控えている。丸に対してはボール球を4球続けて歩かせた。一塁が開いていることを考慮すれば何ら間違った判断ではない。後続を抑えて0で切り抜ければOKの場面といえよう。

 本塁打と打点でリーグトップを走る主砲に対して、今季飛躍を遂げた左腕は細心の注意を払いながらの投球を見せた。自らの持ち球を余すことなく使い主砲を翻弄したが、2-2からの5球目の内角低めに投じた変化球を岡本和が何事もなく見逃したことで状況は一転する。

 狙いとは異なる球種だったのか、それとも配球を読んだうえで完全に見切っていたのか真相は定かでない。一つ言えるのは、実に不気味な見逃し方だったということ。前日までの活躍に加えて、1回表に放った超特大ファウルで背筋が凍る思いをしただけに、最終的にバッテリーは「大怪我」しない選択をした。いや、そうせざるを得なかったように映ったのは気のせいだろうか。

絶望的な差

 その後の結果は周知のとおりだ。満塁となって迎えたゼラス・ウィーラーの打球は、ショートを守る京田陽太のグラブの下を抜ける2点適時打。ドラゴンズのゲームプランは完全に崩壊した。さらに4回裏には大城卓三に一発で突き放されてしまう。対するドラゴンズ打線は5回表に戸郷翔征の乱調に付け込み、2点を返すことが精一杯の反撃だった。

 4対2。点差はわずか2点だったが、両者には明らかな実力の隔たりがあった。坂本、丸、岡本和のリーグ屈指の強打者トリオの存在は言うまでもない。しかしながら、この日の試合を決定づけたのは彼らの後を打つ面々だ。中心選手が勝負を避けられることがあっても得点をもぎ取ってしまう第四、第五の存在。強力な「三本の矢」以外にも武器を隠し持っているのだから、優勝争いをするのも納得だ。

 「初回を無失点で切り抜けていたら」、「バッテリーの相性が良くなかったのでは?」、「京田は打球を止めることができたはず」……本日の試合を振り返り、色々な “たられば” を言いたくなる気持ちは分かる。ただし、だからといって本日の試合結果がひっくり返っていたとは思えない。目の前にあるのは単なる1敗ではなく、様々なことが幾年にもわたり積み重なってできた差である。

 ちなみに、ドラゴンズが球団史上初の日本一になったのは終戦から9年後の1954年。現状からの復興はまだまだ先だが、果たして胴上げを見るのはいつになるのだろうか。9年も待ちたくはないが、やるべきことを挙げだしたら切りがない。

(k-yad)