ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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あれは白昼夢なのか?~一人の中学生にドラゴンズの未来を勝手に託した日~

  こんにちは。k-yadです。暑い日が続いていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。ikkiさんに引き続き、表には出なかった『文春野球』のフレッシュオールスター応募作を公開します。

 舞台は6年前の真夏のナゴヤ球場。是非ご一読ください。

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 2015年8月15日。カンカン照りの日に、私は買ったばかりのクロスバイクを走らせ、ナゴヤ球場に向かっていた。

「何が何でもこの目に焼き付けたい選手がいる」。

 アマチュア野球観戦をライフワークとする私にとっては、最もモチベーションが上がる台詞。それもそのはず、この日が来ることをを何か月も待ちわびていたからだ。

 

 あの日、あの時、あの場所で

「岐阜にとんでもない選手がいる。」

 風の便りを聞き付けたのは、その年の春先だった。噂の選手は、投げたら140キロを超えるストレートを投げ、打撃も一級品らしい。しかも、一度耳にしたら忘れられない名前だった。

「飛騨高山ボーイズの根尾昂(ねおあきら)」

 2012年の暮れには、ドラゴンズジュニアに選出された実績を持つとのこと。ただ、その頃の私は中日ドラゴンズへの関心が薄れていたため、存在をきちんと認識していない。すぐにYouTubeでプレー動画を検索してみたが、該当する動画はヒットしなかった。

 当初はベールに包まれていたものの、時が流れるにつれて根尾の活躍がメディアを賑わせ始めていく。2015年5月4日付の中日スポーツには、根尾が出場したボーイズリーグの試合が写真付きで掲載された。

 その活躍は、同じ面に掲載されていた東京ガス・山岡泰輔(現・オリックス)完封や、東海大学・丸山泰資(現・中日)の完全試合よりも大きく取り上げられていたほどだ。記事によると、スキーの全国大会で日本一となり、日の丸をつけてイタリアでの世界大会に出場とある。まさにスーパーアスリート。「一体何者なのか?」と私の興味は増すばかりだった。

 さらに、8月上旬には中日本選抜の一員として世界大会にも出場。周囲の度肝を抜く活躍を見せたことで、東海地区の朝の情報番組で取り上げられた。

 いずれの試合もこの目でプレーを確かめていないにもかかわらず、私は「完璧超人・根尾昂」という野球選手像を勝手に作り上げていた。とはいうものの、まだ中学3年の夏。過度な期待を禁物と自分自身を戒めているうちに、自転車はナゴヤ球場に到着した。

戦慄

 プロ野球の試合だと真っ先にチケット売り場に向かうが、この日の入場料はタダ。売店のかき氷や冷たい飲み物には目も暮れず、汗だくになりながらも一目散にスタンドへ向かった。

 グラウンドを見渡すと、バランスの良い身体つき、頭の先から足の先まで一本の糸がピンと張っているかのような姿勢。明らかに異彩を放つ選手が目に飛び込んできた。身に着けている背番号は1。すぐさま中日スポーツに掲載されていた選手名鑑を確認した。「これが噂の根尾か……」。スコアボードを確認すると、3番・投手で出場予定のようだ。これ以上ない舞台が整った。

 マウンドに上った背番号1の投球に筆者は驚き、ひどく困惑したのを今でも覚えている。とにかく異次元のスピードだった。しかも、遮二無二に投げているわけではなく、力感なく腕を振っている。当時の私が残したメモには、このように記されていた。

・ストレートの球速は138~144キロ

・スライダーは120キロ程度

・投球の9割近くがストレート

・力任せではない

ドラゴンズに射した一筋の光

 対峙する石川ボーイズ打線を自慢の剛球でねじ伏せる飛騨の怪童は、更に驚愕のプレーを見せる。一塁に走者を背負い、相手が投手前にバントを試みた次の瞬間だった。根尾は打球に向かって猛ダッシュ。打球を掴むと、素早くターンして二塁へ送球、走者を刺した。

 その送球はまるで、一筋の光。二塁へ投じられた白球は真夏の太陽のように眩しく感じられた全身の震えが止まらない。決して熱中症ではない。一連のプレーを目の当たりにして、気持ちの昂ぶりを抑えることができなくなっていたのだ。

「この選手にはドラゴンズのシンボルになってほしい」。

 当時のドラゴンズは、15年続いたAクラスから一転、Bクラス生活浸かり始めた頃。黄金期を支えた選手は徐々にチームを離れ、残っている選手もキャリアの最晩年を迎えている時期だった。だからといってファームに有望な若手が溢れかえっているわけでもない。チームの空気を変える救世主を待ち望むのも無理はなかった。

 背番号1の一挙手一投足に酔いしれているうちに、試合が終わった。結果は飛騨高山ボーイズのコールド勝ち。根尾は4回を投げ、被安打1の6奪三振。打っても痛烈なセンター前ヒットを放ち、別格の存在であることを強烈に印象付けた。

 ナゴヤ球場の衝撃から3年。飛騨を巣立った少年は、名門・大阪桐蔭の中心選手に成長を遂げた。甲子園大会には春夏合わせて4度出場し、うち3度優勝。投打にわたる大活躍で高校球界の顔となった。遂に迎えた運命の日。ドラゴンズと根尾は赤い糸で結ばれたが、ドラゴンズが欲したのは「野手・根尾」だった。

 2年間の下積みを経て、迎えた今シーズン。念願の開幕スタメンに名を刻んだ。以来、一軍帯同を続けているものの、文句なしのレギュラーになったとは決して言えない。ペナントレースが幕を開けて約2か月が経過しても、打率は2割前後をさまよっている。まさに一軍の分厚い壁にぶち当たっているところだ。

 だが、思うようなパフォーマンスを披露できなくとも、竜の背番号7に対する声援は増すばかり。球場に足を運ぶ度に、ドラゴンズファンの根尾への期待の大きさをひしひしと感じる。21歳の若武者に多くを望むことは酷かもしれないが、私は信じ続けたい。あの時の少年がドラゴンズに日本一をもたらす使者になることを。

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 『文春野球フレッシュオールスター』にて「ヤングフレッシュU-30優秀コラム賞」を受賞した本コラムは、まだ知る人ぞ知る存在だった根尾昂をいち早く目に焼き付けた筆者の興奮と、夏の蒸し暑さが印象に残る内容となっている。

 本ブログの執筆陣では最年少のk-yad君がさらに技術を磨いて、来年こそは本戦出場を果たすのを期待せずにはいられない。あらためて、この場を借りて祝意を伝えたい。おめでとう!

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