ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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ねがいごと

●1-3巨人(13回戦)

 丁度日付が変わった時間帯に、ショッキングなニュースが飛び込んできた。

 「松坂大輔、引退」

 伝説となった高校時代、数多のスラッガーと名勝負を繰り広げたプロ生活の前半の活躍は、紛れもなくエースの称号が誰よりもふさわしい投手だった。

 MLBに活躍の場を移して以降は故障に苦しんできただけに、この日が来ることは覚悟をしていたものの、今でも嘘であってほしいと思っている。晩年は外野から心無い声も飛んでいたが、紛れもなく日本野球史に残る大投手である。

 加えて、「松坂世代」という言葉を生み出すなど時代の寵児でもあった。スポーツ界の枠にとどまらず、日本の文化史に残る傑物だ。お疲れ様でした。

最終回はまだ来ない

 昨日、記念すべき対巨人戦2000試合目を白星で飾ったドラゴンズ。次の区切りに向けての第一歩となる日に、福留孝介の名がスタメンにあった。5番・ライトで起用された百戦錬磨の天才スラッガーは2回表に訪れた第1打席から早速結果を残す。

 マウンド上にはMLB帰りの山口俊。この試合がNPB復帰後3戦目の一軍マウンドだ。経験豊富な右腕を相手に、変化球2球であっさりと追い込まれた直後の3球目だった。若干甘くなった内角高めのストレートを狙いすましたようなフルスイング。右中間スタンドに着弾した打球を山口は振り返りもしなかった。

 2打席凡退した後の第4打席では、相手投手に9球を投げさせての四球。空振りをしないミート力と、際どいコースを攻められても動じない選球眼の良さが際立った。これには150キロを超える速球が武器のルビー・デラロサも根負けだ。

 「暴れん坊」で鳴らしたバルビーノ・ガルベスからプロ初本塁打を放ったのもこの東京ドームだった。あれから早22年。皮膚の「年輪」は増え、背番号は1から9になっている。それでも力強いスイングと芸術的なバット投げ、悠然と四球を選ぶ様は何ら変わっちゃいない。ドラフト同期生である「平成の怪物」はユニフォームを脱ぐことになったが、この男がバットを置く姿を想像するのは難しい。

特別な関係

 本日の負けで、巨人の軍門に降ったこと1075回。85年にわたって繰り広げているライバル関係となるだけあって、敗れた時の悔しさはひとしおだ。ドラゴンズにとって「球界の盟主」は特別な存在。何より親会社は同じ業種。意識しない方が難しい。

 「燃えよドラゴンズ!」においても、巨人は最大のヒール役として描かれている。ただ、実のところ両球団は「人事交流」によって発展してきた歴史がある。

 1954年の日本一戦士だった牧野茂はV9時代の名参謀として常に立ちはだかり、FA移籍した落合博満は美しい放物線をスタンドに描き続けた。仮に落合が名古屋を離れなかったら、“10.8” で苦杯を喫することはなかったかもしれない。「昨日の友は今日の敵」となったからこそ、両者のコントラストはナゴヤ球場のカクテル光線のように鮮やかになっていた。

 一方でドラゴンズも巨人なくして今はない。プロ野球黎明期の大御所である水原茂や与那嶺要、近藤貞雄が監督を務め、チームをレベルアップさせていった。彼らの功績があったからこそ2度目のリーグ優勝と、その後の野武士軍団があるといえよう。そして、巨人に対して誰よりも闘志をむき出しにした星野仙一も、川上哲治の影響を強く受けている。常勝軍団のイズムは、尾張の地でも絶えず流れているのだ。

 私の年齢を考えると、3000試合目に立ち会うことはできると思われる。しかしながら、4000試合目の結果を知ることは恐らくない。それでも中日対巨人は続いていく。両者の戦い決着が永遠につかないことを祈るばかりだ。そして、これまで以上に両者が高め合い、試合前からバチバチと火花を散らし合う関係性でありたい。

 そういえば今日は七夕。このことは短冊に書いておかなければならない。雨模様なのが気掛かりではあるが。

(k-yad)