ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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いつのまにアラサー

○3-2巨人(12回戦)

「あれ、お前もうそんな歳(とし)だっけ?」

 年下の後輩なんかと喋っていると、いつのまにかいい年齢になっていて驚かせることがある。ついこないだ入社してきたと思ったら、もう30手前かよ。当然その分、自分も歳食っているわけで。そのたびに5年や10年なんてあっという間だなーーと感慨に耽るわけだ。

 そりゃそうだ。あの落合ドラゴンズの最終年にして球団史上初のV2を成し遂げた2011年から早10年。そろそろ「落合? だれ? 昔監督だった人?」と平気な顔してホザく小学生や中学生、ヘタすりゃ高校生の中日ファンが出てきたって何ら不思議ではない。いつまでも口角泡を飛ばして「2006年が至高!」と言っていると、老害認定されかねないから要注意だ。

 さて。そんな落合ドラゴンズの栄光を、まだ多くのファンがズルズルに引きずっていた'12年のドラフトで溝脇隼人はドラゴンズに入団した。

 ただし当時はまだ “アライバ” が強固に機能していた時代だ。5巡目という指名順位からも分かるように、内野手の溝脇ははっきり言えばさほど期待されていたわけでもない。何人かいる若手内野手のひとり。そんな立ち位置で溝脇のプロ生活はスタートした。

前橋の夜に残った酷な “結果”

 1年目は一軍出場がなく、二軍でも93打数で打率.194、OPS.405とお世辞にも結果を残したとは言いがたい。吹けば飛んでしまいそうな弱々しい立場が少しずつ変わり始めたのは入団4年目の頃からだろうか。課題の打撃は年々よくなり、守備・走塁に関しては若手のなかで頭ひとつ抜けたものを見せるようになっていた。

 木俣達彦、岩瀬仁紀が口を揃えて「荒木の後釜は溝脇」とメディアで発言すれば、当の荒木雅博も引退した直後のラジオ出演で「自分から渡してくださいとは言わないが、次に背番号2を付けるのは溝脇だと思っている」と、はっきりと実名をあげて期待を口にしている。コーチに就任した荒木がとりわけ溝脇を熱心に指導したのも同郷の誼(よし)みではなく、それだけレギュラー獲りの可能性を感じていたからだろう。

 もはや怪我さえなければ台頭するのは時間の問題かと思われたが、そこにこそ溝脇の最大の弱点があった。初の開幕一軍を果たした'17年、2年ぶりのスタメン出場でいきなり猛打賞を記録した'19年と、頭角を表したかと思うと長期離脱してしまう間の悪さが祟り、気づけばアラサー27歳。「プロスペクト」と呼んでもらえる時期はとうに過ぎ、そろそろ本気で結果を求められる中堅どころに差し掛かっている。

 

 そうして今夜。「1番セカンド」で久々に出場した溝脇だったが、3三振1エラーという酷な “結果” だけが前橋の夜にむなしく残った。三塁コーチャーズボックスの荒木コーチは、この姿を見て何を思っただろうか。何年か前なら、これも経験! と擁護することもできただろうが、今の溝脇はもうミスさえもポジってもらえるような年齢ではない。

 二軍では同じ内野手で18歳の土田龍空が日進月歩の成長を遂げていると聞く。シビアな世界だが、これが現実。もし次のチャンスがあるならば(無いかもしれないが)、今度こそ掴み取ってもらいたい。もうアラサー? いや、まだアラサー。あの荒木が後継指名した選手に、こんなとこでくたばってもらっちゃ困る。

50年前のホームラン

 今朝の「中日スポーツ」一面は大島康徳さん。癌との闘いに打ち勝ち、命を生ききった様はまさしく座右の銘「負くっか!」を体現したかのようだった。

 大島さんの名前が初めて世に知れたのは今からちょうど50年前の6月17日、ヤクルト戦のことだった。水原茂監督の3年目にあたるこのシーズンは序盤から苦しい戦いを余儀なくされ、ドラゴンズは最下位に低迷していた。一方で好調の二軍は首位を快走。その二軍で4番を張る大島さんが急遽招集され、この日一軍初出場にしていきなり一塁スタメンを任されたのだ。

 藁にもすがるかの如き大抜擢。ここで大島さんは大きな仕事をやってのけた。アンダースロー会田照夫からバックスクリーン最深部へ飛び込む特大アーチを放ち、そのすさまじいパワーにヤクルトナインは度肝を抜いたという。突如現れた若武者のハッスルプレーに感化されたのだろう。翌日からドラゴンズは巨人スイープにはじまり、7連勝(1分挟む)と復調。夏場から稲葉光雄、島谷金二、そして星野仙一と活気みなぎる若い力が次々と台頭し、チームは新時代へと突入したのだった。

 低迷する一軍と、好調の二軍。無理に共通点を見出すわけではないが、行き詰まったチームの空気を打破するのはかつての大島さんのような若い力の躍動ではないだろうか。

 逆転の呼び水となる四球を選んだ郡司裕也。ナイスランでチャンスを広げた髙松渡。もちろん溝脇だって、まだかろうじて、なんとかギリギリ若手寄りと言えなくもない。こうした選手たちがしのぎを削ることでチームは生き返ると私は信じている。

 そしてまたドラゴンズから、大島さんのような魅力あふれるスタープレイヤーが誕生するのを心待ちにしたい。大島さん、最期までフルスイングの見事な生き様でした! ありがとうございました!

(木俣はようやっとる)