ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

どしゃ降りの夜に

●2-3DeNA(10回戦)

 〈京田「35億!」の掛け声の変更をファンにお願い〉

 こんな話題が『中日スポーツ』の紙面を飾ったのは4年前の秋のこと。お笑い芸人・ブルゾンちえみのネタでおなじみの洋楽「ダーティーワーク」を出囃子に使っていた京田が、「35億!」と叫ぶ箇所を自分用コールに変えて欲しいとおねだりした、というオフならではのほのぼの記事だ。

 ちょうどこのとき新人王を獲ったばかりの京田の存在は、暗黒にどっぷり浸かっていたドラゴンズにとって久々に現れた光明であり、希望だった。最近のようで遠くなりつつある、2017年の話だ。

新時代到来を予感させた背番号51

 森繁和が監督代行から引き続いて正規監督に就任したこのシーズンは、開幕から引き分けを挟んで5連敗とロケットズッコケをやらかし、最終成績も借金20の5位と惨憺たる結果に沈んだ。

 おまけにシーズンが終わるとすぐに、来日一年目にして本塁打王を獲得した主砲・ゲレーロの流出騒動が紙面を騒がせ、報道どおり巨人へと移ってしまった。数少ない補強といえば、FAの大野奨太と、MLBではほとんど実績のないアルモンテ、そして年末に降って沸いたように獲得が決まった松坂大輔くらいのもの。こうして振り返ると、とてもじゃないが明るい兆しなどあるようには思えない。今でも暗黒臭がプンプンと臭ってきそうだ。

 それでもファンの多くが昨年までとは違い、少なからず前向きな気持ちになれたのは、京田のはつらつとしたプレーが勇気を与えてくれたからに他ならない。走攻守に高いレベルでショートという難しいポジションを全うした背番号51の躍動は、新時代の到来を予感させるには充分だった。

 長嶋茂雄に次ぐセ・リーグ歴代2位(当時)のシーズン149安打を引っ提げて臨んだ初めての契約更改では、2,800万円アップの4,000万円でサイン。「うれしい」と声を弾ませながらも、「今年の成績には満足していない。プロの厳しさを痛感した」と更なる進化を誓った。

 京田は近い将来、ドラゴンズを背負って立つスターになるに違いない。当時誰もがそう期待したし、35億とは言わずとも年俸1億円にはすぐに届くものだと思っていた。

 あれから4年の月日が経った。ブルゾンちえみも、球場のコールも、期待した京田の姿も……みんなどこかへ消えてしまった。

腐らず、潰れず汗を流した1ヶ月間

 プロ入り後、初めての二軍行きが決まったのがちょうど1ヶ月前の5月28日だった。直前に2試合続けて猛打賞を記録するなどバッティングはむしろ上向いていたが、一方でバント失敗や浅いカウントからの凡打も目立ち、痺れを切らした首脳陣が遂に断を下した格好だ。

 怪我をしたわけでもなく、極端に調子が悪いわけでもない。いわば壁を打ち破るための降格だが、バリバリのレギュラークラスにこうした措置が取られることはめずらしい。言うまでもなく、その裏にあるのは京田に寄せる大きな期待だ。

 ただ、プロ野球選手は一流になればなるほど(もちろんいい意味で)プライドも高くなる。昨日までレギュラーを張っていた選手を二軍に落とせば、ひとつ間違えると腐らせる結果にもなりかねない。代打が出されただけで激昂する選手もいるくらいなので、二軍降格ともなれば首脳陣が相当慎重になるのも無理はない。プロ野球でなくても、待遇について上の悪口、愚痴ばかり吐いている人間を社会人なら一人ならずともお目にかかったことがあるだろう。

 情に厚い与田監督のことだ。そこはしっかりケアして送り出したとは思うが、ともすれば京田陽太という選手を潰しかねない危険な賭けだったと思う。

 

 しかし京田は腐らなかったし、潰れなかった。真昼間のナゴヤ球場で、若手たちに混じって汗を流しながら課題に取り組み、3割近い実戦打率を残して再び一軍切符を勝ち取った。一度栄光を知った人間が、下のレベルでがむしゃらに頑張るのはなかなか出来ることじゃない。慢心や過去の実績を捨て、自らと真摯に向き合った1ヶ月間。この経験が京田にどんな変化をもたらし、チームをどう変えていってくれるのか。

 しきりに降り注ぐ雨に泣いた今夜の試合も、もし9回までやれていればどこかで京田の出番はあったはずだ。ひとまずリベンジ初戦は明日に持ち越しとなったが、新しくなった京田の姿を一軍の舞台で見るのが楽しみで仕方ない。

(木俣はようやっとる)

 

参考資料「中日スポーツ」