ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

MENU

徳俵からの逆襲

○6-2阪神(10回戦)

  試合終了後、ナインを充実の表情で迎える福谷浩司を見て、心の底から良かったと思える試合だった。交流戦最終戦に登板した前回の先発では、8回途中の降板後に勝ち越しを許した瞬間にがっくりと肩を落とした。そこから中9日を開けての先発マウンドは毎回のようにランナーを賑わせながらも2失点に抑えたピッチング、開幕投手のこれからの巻き返しに十分に期待ができる内容だった。

思いが溢れるプレーの連続

  「福谷を勝利投手にしたい」

 その思いは18.44メートル先でボールを受けた桂依央利が一番感じていたことだろう。打たれたヒットは7イニングで12本、リードする捕手からしたら喜ぶよりも反省することのほうが多い試合だったかもしれない。それ故に桂の打席での闘志は画面越しにも伝わってきた。

 第1打席、相手のミスから広がったチャンスで回ってきた打席は、ストライクを取りに来た甘めの変化球をしっかりと振り切りレフトへツーベース。DAZNの実況・小野塚康之アナウンサーの名調子 「いいー当たりぃ!」 も飛び出した。解説の湊川誠隆氏も 「全体練習が休みの日にもナゴヤ球場で必死に練習していた姿を見ていたから、こういう場面で打って欲しい」 と期待を寄せる場面で最高の結果を残すことができた。
 その後阪神打線に何度もホームベースを脅かされただけに、ここでの2点目が後々の試合展開を大きくしたと言っても過言ではないだろう。

 7回裏の第3打席では藤浪晋太郎からフォアボールを選ぶと、大島洋平の一、二塁間を割る鈍い安打で一気に三塁へ。最後はヘッドスライディングを見せながら、桂が三塁まで進んだことに非常に意義があった。続く代打の福留孝介の打席で守備陣形と攻め方が変わり、最終的に桂自身が決勝のホームを踏むことになった。

 強肩も相変わらずだ。6回には糸原健斗、7回には近本光司の盗塁をそれぞれアウトにした。2死からの盗塁阻止で試合の流れを阪神に与えることがなかったのも勝ちを掴めた大きな要因の一つだろう。

第3捕手からスタメンマスクへ

 シーズン開幕当初、桂はいわゆる 「第3捕手」 としての一軍登録だった。主戦捕手の木下拓哉が試合に出続ける中、期待の若手捕手・石橋康太が2番手捕手として起用される傾向があり、桂の出番はほとんどなかった。

 交流戦に入ると育成契約から支配下をもぎ取った山下斐紹が一軍に招聘された。山下は打撃を期待されての起用がメインだったため、この時に 「2番手捕手」 への昇格を果たし、福谷が先発時の専属捕手としてスタメン出場の機会を得ることに成功した。そして先週、木下拓哉の怪我に伴い、ここ3試合はスタメンでの出場が続いている。

 桂が一軍で3試合連続でスタメンに名を連ねるのは2016年の7月以来。谷繁元信の引退に伴い、松井雅人、杉山翔大らと正捕手を争っていた最中のことだ。
 それから5年、その間に桂は半月板を負傷する大怪我を負い、背番号は40から68へと大きくなった。捕手事情も大きく変化。加藤匠馬の台頭に加え、木下が長年空白だった正捕手の座をついに射止めた。
 そして次世代のドラゴンズを担うべく、石橋、郡司裕也といった期待の若手捕手が次々と入団し、昨年は二軍でも29試合の出場に留まった。2017年に1500万まで上がった年俸は今年は推定690万円。4年間で年収が半分以下にまで落ち込んだことになる。

 桂の野球生活は足が徳俵にまでかかるほどの崖っぷちに追いやられていたが、大怪我を乗り越えた男が見せる勝利へのひたむきな姿勢に心を打たれた試合だった。

(yuya)