ちうにちを考える

中日ドラゴンズ歴史研究家が中日の過去、現在、そして未来について持論を発表するブログです

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最も期待している選手

 今シーズン「最も」期待する選手は?

 開幕直前、本ブログ執筆者4人でトークしたときの質問に、私は「梅津晃大」と答えた。

 3年目の今年は自ら希望した背番号18を背負うシーズン。昨年の故障明けということもあり、キャンプからじっくり二軍で調整を続けGW終盤に一軍昇格。今シーズン一軍では3試合に登板して0勝1敗、防御率1.59と、一見して抑えているような防御率ではあるが、実態は数字のソレとは大きくかけ離れている。
 6月5日の試合では、フォアボール連発で塁上を賑わし、ヒットを打たれていないにも関わらず3回途中で降板、そのまま二軍降格となった。

なぜ梅津に期待するのか

 端正なルックス、そしてスラッとした高身長から放たれる剛速球で強打者をバッタバッタとなぎ倒すその姿は、老若男女すべての野球ファンを虜にする魅力を持っている。

 ルーキーイヤーから一軍で勝利の味を覚え、2年目の昨年は開幕ローテーション入りを果たし、順調にプロ野球選手として順調にキャリアを積み重ねている梅津。だが、まだまだ課題は多い。先述した制球難、学生時代からの故障体質、そして何よりもメンタル面での不安定さ……。梅津がワンランク、ツーランク上の選手になるには乗り越えなければいけないことが多すぎるのだ。

 8年ぶりのAクラス入りを果たした昨年、私が一番怒りを覚えた試合は他でもない梅津が先発した試合だった。シーズン2試合目の登板となった6月28日の広島戦(ナゴヤ)、5回7失点でマウンドを降りた試合だ。

 ヒットを打たれ、フォアボールを与えるたびに苛立ちを隠さず。打席では送りバントを失敗し、絶望の表情を見せてベンチに戻る梅津。降板後もがっくりと肩を落とし、まるで悲劇のヒーローのようにうなだれる姿に、普段野球を見ていても喜怒哀楽をあまり出さない私が思わず「そんな姿は見たくない!」と声を荒げてしまった。
 もしこれが20年前の出来事だったら……闘将からの「熱い拳」が飛んできたことだろう。グラウンドの端に立たされ、翌日には丸刈りになっている、なんてことも想像してしまう。

 かと思えば一転、10回無失点なんてことも成し遂げてしまう若き右腕(8月2日,対ヤクルト,ナゴヤ)。イニングを追うごとに拍手が大きくなり、球場に鳴り響く出囃子がより一層彼を輝かせた。迫真の表情で打者に向かい、雄叫びをあげるその姿こそ私が見たかった梅津の姿だ。
 もしこれが20年前の出来事だったら……闘将は上機嫌に、彼の姿を自らの現役時代に重ねていたことだろう。

 

 梅津なら……その投げる姿で日本中の視線を独り占めすることだってできる。スケールの大きさは一つの球団だけに留まらないものを持つ。

 その境地に辿り着くためには、酸いも甘いもとにかく多くを経験することだと思う。圧倒的な力で球場を支配することも、滅多打ちに遭うことも。時には制球定まらずに無安打でマウンドから降り、即日二軍降格になるような屈辱さえも肥やしになるはずだ。

 梅津にはそれをネガティブに捉えず、一つ一つが成長の機会であると考えてほしい。そうすれば自ずと目指す姿に近づけるのではないだろうか。

 だから、私は彼に期待している。どんなにカッコよく抑えても、どんなに惨めなマウンドの降り方をしても、全てが糧になってほしい。そういう期待を込めて、彼の投げる日はより一層、他の選手よりも合格ラインの目線を高くしてまぶたに焼き付けている。

そして、その先へ…

 中日には「背番号20」という、とても重い背番号がある。杉下茂に始まり、星野仙一、小松辰雄と受け継がれた右のエースの背番号。小松の引退後は1年のブランクを明けて宣銅烈が着用した。ドラゴンズの優勝の歴史にはいつも「背番号20」が輝いていた。

 ところが21世紀になると「背番号20」は受難の時代を迎える。FAで獲得した川崎憲次郎は故障に苦しみ4年間で3登板しか果たせず引退。2005年に入団した中田賢一はリーグ優勝に貢献したものの、2013年オフにFAでソフトバンクへ移籍。
 その後2014年のドラフト1位で入団した野村亮介が着用したが、わずか3年で戦力外通告を受け、以降4年間は空き番号となっている。

 現時点でエースと呼ぶに相応しい数字を残している柳裕也、将来の右のエースを担える存在の高橋宏斗など候補になる選手はいるが、私はぜひとも梅津にこそ栄光の「背番号20」を着けて欲しいと願っている。

 中日の投手陣で最もマウンドの支配者になり得る男こそ、梅津晃大だ。そして彼に相応しい二つ名は「燃える男」だと信じて疑わない。

(yuya)